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26/01/2013

01/30/2013

 

ノスタルジックな町。オニャール川にかかる橋は糸のようにぴんと張って、渡る人の影まで繊細に見せていた。

 

 

ジローナへ行ってきた。バルセロナからは電車で1時間半なので、それほど離れていない。けれど驚くほどに、町の風景はバルセロナとは違っていた。

 

 

 

カテドラルは丘の高いところに建てられているので、広場のようなところから建物まで長い階段を上っていく。ファサードはバロック、側廊はゴシック。回廊などはロマネスク。ヨーロッパの大きな教会にはよくあることだけれど、膨大な時間をかけてあれこれ手が入れられているので、とにかく様式が混ざっている。それぞれ特徴のある装飾が美しく、じっくりと見れば見るほど愉しい。

 

このカテドラルの宝物館には、有名な天地創造のタペストリーがある。11世紀から12世紀にかけて織られたもので、世界でもそうとう古いものらしい。旧約聖書を題材に人物や動物の模様が織り込まれていたのだけど、どこかユーモラスで可愛らしかった。織られたときには鮮やかだっただろうタペストリーはもう褪せてやさしい色になっていたけれど、本当によく受け継がれてきたものだなとしみじみ眺めた。

 

ジローナは、折り重なる歴史と共存している町だ、と思う。色々な民族がかわるがわるやってきて戦いの場所になることも多かったらしいこの町だけれど、今でもローマ人の遺跡がわずかに残り、12世紀から15世紀にかけてのユダヤ人コミュニティの足跡がある。そしてはるか昔に建設がはじまり、その後増幅されたり壊されたり再建されたりしてきた城壁がある。いかにもカタルーニャらしい、褐色の屋根と色とりどりの壁を持つ家もたくさんある。その旧市街がやんわり核のようになって、今暮らしているひとたちの生活が広がっている(ような気がした)

 

 

 

地図も見ないでただ歩いていたら不意に、町を見下ろせる、なにもない場所に出た。何人かが景色に背を向け、手すりに凭れてぺたりと座っていた。きっとここのひとたちで、町なんて見慣れてるんだろう。彼らを横目に眺めたジローナの風景は、美しいというのとはちょっと違うのかもしれないけれど、なにか胸に迫るものがあった。ちょうどお昼で、澄んだ鐘の音がながく響いていた。

 

 

 

細い路地を歩きながら思い出したのは、何年も前に行ったクロアチアのシベニクという町だった。記憶をゆっくりと辿ってみると、たしかによく似ている。旧ユダヤ人街の路地の暗さ、壁をかたちづくる石、細くつづく階段、高い場所にある教会。あの日乱れ咲いていた藤の花の匂いがよみがえって、思わず足を止めた。

 

これまで訪れてきたたくさんの町の風景は、わたしの中に複雑に絡まり合って存在している。端を引っ張ると、連なった記憶がするすると、どこまでも出てくる。普段はいっしょくたに箱のなかに詰め込んでいるけれど、ひとつの町だって忘れていない。わたしに才能があったらこれを全部自分のために言葉にするのに、といつも口惜しく思っている。

 

 

 

ジローナに着いてまず驚いたのは、カタルーニャの旗の多さだった。バルセロナでも1年半前と比べて増えたなあと思ったけれど、ジローナはその比ではなく、どこへ行っても旗が目に入る。あとからわかったことだけれど、ジローナは特に独立派の多い町でデモが行われることもあり、市長も独立派らしい(演説では他地域との経済の格差を独立を推進する理由に挙げ、「スペインはカタルーニャから毎秒512ユーロを受け取っている」とまで言ったそうな)

 

州議選では独立派が過半数の議席を占めたけれどそれでも第一党の議席は予想より伸びなかった、と昨年の秋ニュースで読んだのを風になびく旗を眺めながら思い出していた。だいいちスペイン政府が認めていないかぎりは、独立を問う住民投票がすぐに出来るかといえばそうでもないんだろう。一部の旗には“CATALUNYA nou estat d’Europa”(カタルーニャ語で、「カタルーニャ、新しいヨーロッパの国」)と書いてあったけれど、本当にカタルーニャが新しい国になる日が近い将来来るんだろうか。たとえばわたしの子どもに、「まだスペインだったころのカタルーニャに行ったことがあるよ、ジローナにはたくさん旗が掲げられていたよ」なんて、いつか話したりするんだろうか。

 

 

あちこちのお店がシエスタに入ってしばらくした頃、朝早くからいたジローナを離れ、フィゲラスという町に行ってみることにした。フィゲラスはジローナから電車でバルセロナとは逆方向、つまりフランス国境のほうへ30分ほど行ったところにある小さな町で、目的はダリ美術館。1年半前のスペイン旅行でずいぶんダリの作品を観て以来興味が湧き、行ってみたいと思っていたのだ。

 

 

 

広い館内の隅から隅まで、煙みたいにもくもくと広がるダリ・ワールド。シュルレアリスム代表のように扱われるダリだけれど、それ以前になんて言うか相当エキセントリックだ。こんなの夢に出てきたらまあうなされるだろう、と思うような作品がとにかくこれでもかと並んでいた(言い過ぎ?)

 

正直なところわたしはあの作品群をしっかりと噛み砕くことはできないけれど、それでもダリ自身が手がけた場所であれだけの数の作品を浴びるように観るのは、心躍る体験だった。こんなに多くの作品を観てここまで印象が変わらない画家も珍しい、と思う。奇才、という言葉がしっくりくる。ダリは本当にどこまでもダリだった。

 

 

 

そして思いがけず、1フロアを占めていた一連の作品に釘付けになった。海のような、宇宙のような、岩のような、人間のような。境界線があいまいなのに、たしかな手触りのある、ふしぎな絵ばかりだった。作者はダリではなく、アントニ・ピショット。生まれたときからダリに接し(両親がダリとは家族ぐるみの付き合いだったらしい)、その才能を認められ、ついにはダリと共にこのフィゲラスの美術館をつくりあげることになる芸術家。ここの館長でもある。

 

その静かで芯の強い作品たちを1枚1枚丁寧に観ていると、この美術館がぎりぎり正気の範疇に留まっているのは彼の協力があったからじゃないかしらと思えてきた(言い過ぎ?)。もっとこの人の作品を観てみたい、と思った。ここでピショットに出会えたのは、わたしにとっておおきな出来事だった。

 

 

 

フィゲラスを発ったのは、夕方5時過ぎ。窓のそとも電車のなかも傾いた陽で金色に染まっていた。

 

遠くに雪のある山の連なりをみつけ、あれはピレネーにちがいない絶対そうだ、とひとりで嬉しくなったりしたけれど、ほんとのところはどうなんだろう。なんとなく、まだちゃんと調べられずにいる。

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25/01/2013

01/25/2013

 

 

太陽と地中海とおおらかな家並みを求めて。

 

 

昨日本屋でぱらぱらとスペイン語のガイドブックを捲っていて、1枚の褪せた美しい写真に釘付けになった。ちいさく添えられていたSitgesという名前には見覚えがあった。海沿いの町だ。写真には海は写っていなくて、その町並みはいまにも両側の壁から表面がぽろぽろと剥がれ落ちてきそうだったけれど(敢えて歴史のある古い建物の写真を使ったにちがいない)、自信に似た感情がふつふつ湧いてきた。明日はここへ行こう、と思った。

 

 

 

シッチェス(Sitgesと書いてこう読む)はバルセロナから電車で30分ほどのところにあるちいさな町だった。ビーチのあるリゾートの町で、モデルニスモ建築の町で、60年代にヒッピー文化が栄えた町でもあるらしい。

 

駅前の案内所で地図をもらい、まずはまっすぐビーチへ向かう。並ぶ椰子の木の向こうに青い海が見えたときには、そう、これこれ、と大声をはりあげたい気持ちだった。そもそも旅行先にバルセロナを選んだのは、地中海が見たかったからなのだ。

 

 

 

椰子の木の下にあるベンチで、時間を忘れて地中海を眺め、波の音を聴き、太陽の光を浴びた。スウェーデンにはない眩しさに、ほとんど泣きだしそうだった。ひたすらにじいっとして、どれくらいあそこにいたんだろう。

 

雲ひとつない空に椰子の葉のふちが滲んで、放っておいたらすこしずつ溶けていきそうだった。

 

 

 

オフシーズンの観光地、それも海のそばの町が好きだ。夏のように鮮やかではないけれど、独特のさっぱりとした穏やかさがある、と思う。そして海はどの季節も、変わらず美しい。

 

 

飽きるまで海のそばで過ごしたあとは、旧市街の路地をゆっくりと、くまなく歩き回った。かすかな潮の香りと、やさしい色の家並み。どこかから聴こえてくるスペイン語は、音ひとつひとつが愉しい。

 

 

 

すてきな風景にたくさん出会ったけれど、ここへ来るきっかけになったあの美しい写真の場所はついに見つけられなかった。旧市街の路地はぜんぶ歩いたはずなのに、なんでだろ。なんだか化かされたような気分だったけれど、おかげでこんな一日を過ごせたわけだし、まあ、いいかな。

 

 

 

ベランダが好きで好きでどうしようもないので、気がついたらこんな写真ばかり撮ってた。

 

 

じゅうぶんにシッチェスの空気を吸って、夕方早い時間にはバルセロナへ戻った。やっぱり今回も見ておかねばとサグラダ・ファミリアに詣で、そこから歩いてカサ・バトリョへ。なんだかんだ言いつつ結局また、ガウディを巡っている。

 

また歩いてすこし遠くの行ってみたかったカフェへ行き、さらに歩いてホテルへ帰った。今回はあまり地下鉄を使わず、かなり距離があってもほとんど歩いて移動している。点だったものを繋ぐ作業。

 

 

ずっと終わらなければいいのにと、もう思いはじめている。

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24/01/2013

01/24/2013

 

1年半振りのバルセロナ。

 

誇らしげにカタルーニャの「国旗」を掲げた、植物でいっぱいのベランダをときどき見かける。

 

 

バルセロナへ来ることを決めたのは一昨日だった。唐突に4連休が降ってきて、ルンドから出たい、と航空券を探した。地中海に面したいくつかの行き先を検討して、いちばん安かったのがバルセロナへの便だった。

 

どこまでも消極的な逃避行だけど、まあいいじゃない。

 

 

 

空から見る、冬のデンマーク−スウェーデン国境は美しかった。飛行機が大きく向きを変えているあいだじゅうずっと窓にはりついて、水と雪と氷でつくられた模様を眺めていた。

 

 

前回ここに来たのは2011年の夏、妹とふたりでだった。スペインのみ10日くらいの旅行だったのだけどアンダルシアにいた日数が長かったので、バルセロナ滞在は実質1日半しかとれず、美術館とガウディ関係のところを必死に回っていたらあっという間。いまひとつ摑めないまま、わたしにとってのバルセロナはガウディ建築を擁する大都会というどこまでもステレオタイプな印象に落ち着いてしまった。

 

今回は、前回時間の都合で行けなかったところを埋め、バルセロナ像をすこしでもほぐして帰るのが目標。

 

 

 

そんなわけで、さっそく前回泣く泣くあきらめたカタルーニャ音楽堂へ。ここを設計したのはモデルニスモ建築家、リュイス・ドメネク・イ・モンタネー。バルセロナ建築学校でガウディを教え、政治家としても活躍した人。ガウディとは違って、生前すでに確固とした地位があった人。

 

一見クラシックだけれど、モザイクや彫刻、ステンドグラスなど細部をひとつひとつ見ていくと独特というか、けっこう奇抜だ。そのうえ尋常じゃない凝り方で、小さなモチーフひとつとっても何と言うかずしっと重い。モンタネーはカタルーニャの誇りになるようなものを作りたかったのだと聞いたけれど、どれほど入れ込んでいたのかは素人目にもとてもよくわかる。彼は細部のデザインもぜんぶ自分でやったらしい。

 

カタルーニャ音楽堂の建設は1908年。だけど100年以上が経った今でも、年間300回ほどもコンサートが行われているのだとか。ほんとうにバルセロナの、カタルーニャの人たちのための建物だ。

 

 

 

天井のステンドグラスは、太陽モチーフの部分が出張っていて帽子をひっくり返したみたいな変わった形(「太陽のしずく」と呼ばれているらしい)。その周りをぐるりと二重に女性たちが囲んでいる。

 

 

 

外の柱も、一本一本違う花のデザインだった。硝子にも薔薇があしらわれていてロマンチック。

 

 

バルセロナはエネルギーに溢れていて、そしてやっぱり都会だ。今はヨーロッパの大都市では高級ブランドからファストファッションまで同じ店ばかり見るけれど、昔はどうだったんだろ。たとえばZARAやH&Mが登場する前のバルセロナを見てみたいなあ、ZARAもH&Mも好きだけれど。

 

 

 

夜のバルセロナは、明かりで生まれた陰影で凄味を増す。お化けみたいな建物が並ぶ大通りをひとりで歩くのは、結構楽しいけれど、ときどき心細い。

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22/01/2013

01/22/2013

 

I regarded the world as such a sad sight

Until I viewed it in black and white

Then I reviewed every frame and basic shape

And sealed the exits with caution tape

 

Owl City “Dear Vienna”の歌い出し。キラキラ。この頃のOwl Cityがいちばん好きだ。

 

 

10月から決めていたことだったのに、航空券も予約していたのに、恋人は結局スウェーデンに来なかった。ずっと楽しみにしていた南スペインへの旅行もキャンセルした。出発するはずだった日を目前にやっぱり行けないと言い出して、彼はそのまま本当にぜんぶやめてしまった。

 

勉強に追い詰められた彼の言い分がわからなかったわけじゃない。けれど、何ヶ月も前から来ると言ってたなら来るべきだと当たり前に思った。よりどころを失ってそれまでなんとか保っていたバランスが崩れ、右も左もわからなくなって、呆然とするまで力の限り泣いた。あんなのは初めてだった。べつに、これきり会えなくなるわけでもないのに。

 

それでも最後には、あなたが正しかったとはおもわないけれど理解はできる、と言った。彼が乗るはずだった飛行機の時間を過ぎたらもう、疲れ切った喉の先で冗談も言えた。電話口で狂ったように泣くわたしを救わなかった彼は、わたし自身よりわたしをよく知っているのだと思う。

 

まあでもこれでもかってくらい謝ってもらったし笑、ちゃんと話もできたかな。しばらくはこれをネタにいじめて遊ぶから、あとは新しい約束をいつか叶えてもらえればそれでいいよ。

 

 

使っていなかったメールアドレスを復活させて、友達からそこにメールが来ていたことを知った。去年の6月。ここを見て一時帰国していたのを知ってくれたらしく、まだ日本にいるなら会えたらいいなぁ、と書いてあった。

 

高校時代から、いつも独特の言い回しで国語の先生みたいに丁寧に話す彼女に憧れていた。わたしには想像もつかないような色々に果敢に立ち向かっていくひとで(きっと本人は否定するだろうけどわたしはそう思っている)、だからこそ気が引けて、ずっとどうしてるかなあと思っていながらこのところなかなか連絡できずにいた。きちんと結婚のお祝いができていなくて、後ろめたかったのもある。

 

もう手遅れかもしれないと思いながら懺悔のようなメールを書いたのだけど、すぐに返事がかえってきた。向こうもわたしを気にかけてくれていたことを知って、とても嬉しかった。わたしにとって彼女はきっとどこまでいっても特別なひとで、だからわたしもできればただの昔の友達のひとりにはなりたくないなと思った。

 

今、彼女は本当に国語の先生をしていて、わたしはスウェーデンにいる。高校時代彼女はすでに国語がべらぼうに得意だったしわたしはすでに北の国に憧れていたから三つ子の魂百までって感じもするけれど、それでも、あの頃のわたしたちに12年後こうしてるんだよって言っても信じないだろうなあ、きっと。

 

27歳のとき、「もう27歳かあ」と言った彼女にわたしは「まだ27歳だよ」と言ったらしい(メールのなかでそれが目から鱗だった、と言ってもらったのだけど、実は本人覚えてない)。今のわたしにはきっとそこまでの前向きさはないけれど、やっぱり今でも、年を重ねるのはなかなか良いと思う。うまくいかないことを両手いっぱいに抱えていても、新しく得てきたこと、昔から変わらないこと、順番に叶えてこれたことをちゃんと仕舞い込んで、また彼女に笑って会いたい。彼女の目に映るわたしが、果敢な人間であればいい、と、思う。

 

 

恋人とは直接関係のないところで失ってしまったバランスは、まだ元には戻っていない。今日から新学期だけれど、いまだに前に向かう気力を養ってる最中。心折れてる場合じゃない、なんとかしなくちゃと思ってる。

 

次回はもうちょい、いろんな意味でカロリー低いかんじの日記が書きたいです。笑。

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13/01/2013

01/13/2013

 

明けましておめでとうございます。2013年、巳年。

 

 

今回はアラブ首長国連邦のドバイで飛行機を乗り継ぎ、ヨーロッパへ戻ってきた。ドバイに着いたのは日の出よりずっと早い時間だったのに、気温は22度。タラップの上で吸い込んだ空気は生温く、想像と違って湿っていた。飛行機の大きなエンジンのむこうには、ぽつぽつと滑走路の明かりが見えた。

 

大阪からドバイまでの飛行機は、びっくりするくらいにがらがら。あまりに人がいないので最初は心細かったのだけど、すぐに慣れ、わたしにしてはめずらしくとてもよく眠った(みっつの席をひとりで使えるのだから、もう快適で快適で)。キャスティングに惹かれて観てみた映画は話の流れにも台詞にも現実味がなかったけれど、それでも、漂う日本らしさを楽しんだ。

 

そして、持っていたブラッドベリでもチャペックでもなく、関空でなんとなく気になって買った島本理生の小説を読むなど。彼女の作品を読むのは何年ぶりだろう、と思いながら。最近、こんなことばかりしている。気がする。

 

 

 

それにしてもドバイ国際空港は広い。飛行機が着いたところからターミナルまで30分、そこから目的のゲートまでまた30分。ゲートを通り抜けてからさらに待たされ、長い通路を通ってバスに乗り込み、空港内をぐるぐると走ってようやく飛行機に到着。そのうえどこも人でいっぱいで何をするにも行列なのだから、座席に辿り着いたときには本当にぐったりしていた。

 

 

遠くに高層ビル群。ああ、ドバイだ。

 

 

日本では、ちょこちょこ出掛けたりテレビを見たり美味しいものを食べたりして、課題が頭から離れることはなかったけれど冬休みらしい健全な時間を過ごした。気がついたらもうスウェーデンへ戻る日が近づいていて、最後の2、3日はあまりのあっけなさにぼんやりとしていた。

 

年明けには、友人たちに会いに東京遠征も。ナンジャタウンで色んな種類の餃子を分けて食べ、ラウンドワンでエアホッケーとマリオカートのトーナメントをやり、9人という大人数でサイゼリヤ。ノリが学生だよね、大人はなにして遊ぶんだろうねえ、と言い合って笑ったけれど、皆とこういう風に遊べなくなるならべつに大人にならなくていいな、と実はこっそり思っていた。

 

 

今年の目標は、妥協しない、手を抜かない、誤魔化さない、言い訳しない、ハッタリをかまさない。ごくあたりまえのことを、誠実にやりたい。なりたい自分になる、というのはどうかなあという感じなので、なりたくない自分から着実に遠ざかれればと思う。

 

今年も、どうぞよろしくおねがいします。

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