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17/02/2013

02/17/2013

 

2月8日、金曜日の朝6時、暖かい服を詰め込んだリュックを持って家を出た。その週の日曜から5日間下がらなかった高熱に体力を削がれて、げっそりとしていた。覚束ない足取りでなんとか飛行機を乗り継いで、北へ、北へ。降り立ったルーレオの気温は、マイナス17度だった。

 

北スウェーデン行きを決めたのは、ヨックモックという小さな町へ行くためだった。ヨックモックでは年1回この時期に5日間、サーミ人がマーケットを開いている。大学のyear projectで、観光客を呼ぶカルチャーイベントがサーミ人の伝統文化に与えている影響について考えてみようと思っているので(まだかなりざっくりしている)、これをどうしても取材しておきたかったのだ。

 

 

 

行きの飛行機ではさっぱり戻らない体調に苦しめられ、ひさしぶりに凄まじい眩暈を体験した。視界がジェットコースターにでも乗っているかのようにぐるぐる回り、飛行機のほうが揺れているのだと思って死ぬほど怖かった。それでもルーレオ上空からの眺めは、数時間の苦行を一瞬忘れるほどに美しかった。

 

 

土曜日。よく眠って多少回復した体を無理やり引き摺り、ホテルを出発。もう冬至を過ぎて随分経つけれど、朝7時の北スウェーデンは当然まだ真っ暗だ。ヨックモックまでは電車とバスを乗り継いで3時間の長旅。午前中に乗れる電車は1本しかない。

 

電車に乗って15分が経った頃、車掌さんがやってきて、ヨックモックへ行くのかと訊かれる。そうだと答えると、予定とは違うボーデン駅で降りて臨時バスに乗るように言われて驚いた。なんとボーデンの先で電車が止まっているらしい。前途多難。いつヨックモックに着けるのかわからないし、だいいち辿り着けたとしても、電車が夕方まで復旧しなければどうやってルーレオまで戻れば良いものか。引き返さないでおこうとは決めたものの、頭を抱えてしまった。

 

 

 

超悲観的だったわたしの予想に反して、ヨックモック行きの臨時バスはすぐにボーデンの駅前にやってきた。大きなタイヤのついたバスは、雪をものともせずにかなりのスピードで走る。車窓からはずっと、雪で松ぼっくりみたいになった木や、水蒸気がふわふわ上がっている川、いつか絵本で見たような赤い壁の小さな家が見えていた。夢と現実の境界。思いつづけてきた“北”が、そこにはずっと続いていた。

 

 

 

朝の光を受ける金色の木。すうっとまっすぐ立つ姿が潔くて、惚れ惚れしてしまう。

 

 

サーミ人はいま、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの4ヶ国の北部にまたがって住んでいる。細かく説明しだすと長くなるのでここでは割愛するけれど、独自の文化、独自の言語を持っている先住民族だ。ただ、ひとくちにサーミ人と言ってもかなり複雑で、たとえばトナカイの放牧のイメージで語られることが多いけれど実はそれが生業とはかぎらない(いま放牧をしている人が減っているというだけじゃなくて、もともとほかのことを生業にしているグループも多いのだ)。方言もいま生きているものだけでざっくり9種類あって、意思疎通ですら難しいペアもある。

 

国によって対サーミ人政策にはばらつきがあったようだけれど、基本的にはどの国でも、サーミとしての言わば西欧的なアイデンティティの確立は簡単ではなかったように思える。サーミは南からの入植者にくらべて貧しかったし、それぞれの国で同化政策も行われたし(1950-60年代になってようやく廃止された)、議会や独自の組織を持ったのも、誇りを持って文化を維持しようという流れになったのも、本当に最近のことらしい。

 

前置きが長くなってしまったけれど、もう400年も続いているヨックモックのマーケットは、その流れとともに最近はサーミのカルチャーイベントとしての性格が強くなっている。あちこちからサーミ人と彼らの文化に触れたい人たちが集まる、年に1度のお祭りだ。

 

 

 

ヨックモックは、気温マイナス27度だというのに、人でごった返していた。道の両脇にずらりとストールが出ている。建物のなかでもあちこちで工芸品を売っていたり、カフェをやっていたり、ミニコンサートが行われていたりして、寒さも忘れる高揚した雰囲気だった。遠方から来た人が多そうだけれど、民族衣装を着た人もちらほら見かける。

 

ただ、サーミ人の出店者の割合が年々下がっているのが問題のひとつだと論文で読んだけれど、たしかにそれを感じる場面は多かった。観光客としては、ここにしかないものにもっと出会いたかったな。いや、しっかり楽しんだけどね!

 

 

 

トナカイの皮の小さなバッグを迷いに迷ってひとつ買った。細かいところまで丁寧につくられていて、ボタンもトナカイの角で、とてもすてき。大切に使おうと思う。

 

帰りは以前日記やツイッターに書いた通り、やっぱり電車がまだ復旧していなくてなかなかとんでもないことになったのだけど、ちゃんとその日じゅうにルーレオに着けたし、それで十分。いやいや。ホント、無事帰れてよかったよ。

 

 

 

Sámi Duodji(サーミ人の手工芸品を扱う組織)には、読みたい本が沢山置いてあった。

 

考えれば考えるほどわからなくなる。民族って、アイデンティティってなんなの。なにが良いことで、なにが良くないことなの。何度も何度も、混ぜっ返して疑う。当たり前だけれどわたしが持ってるのなんて結局ぜんぶ刷り込まれてきた価値観で、やっぱりどうしたって一元的だ。

 

それでも、わたしはわたしを取り巻く世界から与えられた感覚で、サーミのひとたちの言語を美しいと思う。音楽も民族衣装も工芸品も美しいと思う。一昨年の夏北ノルウェーで会った若いサーミの男の子が言った「僕たちに国境はないよ」という重みのある言葉を、とてもとても美しいと思う。遠い東洋の国で生まれて、基本的には西欧的な価値観を是として育ってきた者として、その全部がずっと残っていてほしいと願う。のだ。

 

 

最終日はルーレオの近郊にある、ガンメルスタード教会街へ。ヨックモックの近くではなくてルーレオに泊まることにしたのは、時間が許せばここを見たいと思っていたからだった。13時には空港へ向かわないといけなかったし日曜日だったので心配していたのだけど、思っていたよりバスの本数があったので(といっても1時間に1本だけれど)、なんとか無事に行くことができた。

 

 

 

この町がつくられたのは15世紀のこと。教会堂を中心に、424軒(!)もの木造家屋が並んでいる。当時の北スウェーデンは教区がとにかく広大だったので、宗教行事となると遠くから泊まりがけで来る人が多く、その人たちのための宿泊施設として小さな家がこうして建てられたらしい。北スカンディナヴィアにはこういう町が至る所にあったとか。

 

真っ白な雪に、赤い木の壁が映える。建物の背が低いので、それほど大きくない教会がどこからでもよく見えた。 薄い膜越しに過去を見ているような、不思議な気持ちになる。600年近く前に、もうこういう風景があったのだ。

 

短い滞在だったけれど、皮膚がひりひりするような寒い日に、雪のあるときに、ここを歩けてよかった。

 

 

あれから1週間。相変わらず、授業と課題で嵐のような毎日を過ごしている。スウェーデン語、それからアイスランド語。いつも頭がいっぱいで、なかなか消化しきれない。

 

ここでの生活もあと4ヶ月になった。いまはできるようになったことを数えるより、もっともっとやらなければいけないことがある。行っておきたいところも、たくさんある。

 

これからよ。まだまだ。

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09/02/2013

02/9/2013

 

 

Murjekという駅で足止めを食った。乗るはずだった電車がキャンセルになったからだ。ほかに長時間待てる場所がないので、駅舎の狭い待合は人と荷物で混沌としていた。しばらく片隅でじいっとしていたけれど、すぐにいやになって、外へ飛び出した。

 

気温はマイナス21度。ひりひりする頬をストールでぐるりと覆って、ちいさく息を刻んで、静かな町を歩いた。

 

 

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ただの点になるはずだった町は、いちまいの壮大な絵のような、美しい記憶になった。

 

 

北スウェーデン・ルーレオにいます。詳しい話はまた後日。明日にはもう飛行機を乗り継ぎルンドへ帰るので、今日はしっかり眠って体力回復しなくては。38度を軽く超える熱が5晩続いたあのとんでもない風邪が、どうか戻ってきませんように。神様!

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