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23/03/2013

03/23/2013

 

雪の降る毎日。これから10日間の予想気温もずっと氷点下だけれど、春はいったいいつ戻ってきてくれるのだろう。

 

部屋のなかだけでも春らしくと、植物を買い足した。アイビーは毎日新しい葉をつけて、どんどん伸びている。

 

 

今週は課題のショートフィルムづくりで大忙し。日中はそれぞれ授業があるので夜から友達の家に集まって、映像編集したり、原稿つくったり、録音したり。 映像作りに詳しい人が誰もいなかったから結構めちゃくちゃだったけれど、皆でああでもないこうでもないとわいわい準備して、なんだか文化祭みたいだった。楽しかったよ。

 

来週はペーパーテストがふたつ。そこをなんとか越えれば、イースターが待っている。

 

 

 

あまり行ったことのなかったお菓子屋さんに帰る途中ふらりと立ち寄ったら、ブダペストの小さなお店のチョコレートがショーケースに並んでいた。大きなメーカーのものではないしもうなかなか食べられないだろうと思っていたので、突然の再会に驚いてしばらくぼんやりしてしまった。なんで、これがここにあるの。

 

ハンガリーでの休日を思い出す。すこし背伸びした、異国の味。

 

 

 

このところ、Joyce JonathanのSur mes gardesを通しでよく聴いている。ぽわぽわした声と発音。軽やかで可愛らしい曲もあればメランコリックな曲もあって、冬と春の隙間にとても似合う、気がする。

 

わたしはフランス語がまったくできないので、彼女が歌っている言葉は、意味から遠く離れたところにある。歌詞を知りたければ調べられるしきっと訳もすぐに出てくるだろうけど、このままでいい。5つの言語の波間でいつも“理解”を目指しているだけに、わからない音をわからないまま放っておける場所もほしいのかもしれない、と思う。べつに知らなくていいっていうのはなんとなく許されている気がするし、それはそれで美しい。

 

 

桜がもう満開だと聞いて、東京がすこし恋しいです。

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10/03/2013

03/10/2013

 

3月1日、30歳になった。

 

 

誕生日はたまたま学校が休みだったので、コペンハーゲン近郊にあるルイジアナ近代美術館で過ごすことに前々から決めていた。天気を心配していたのだけど、ふたを開けてみると今年いちばんの晴天で(母にそうメールしたら、「極め付きの晴れ女ですねえ」と返事がきて笑った)、ほんとうに春が来たように暖かく気持ちのいい日だった。新しいカーディガンを着て、電車に乗って、いそいそ出かけていった。

 

展示をじっくり見て回り、彫刻が点在する中庭を散歩して、カフェで海を眺めながら昼ごはん。凍った池のほとりを歩き、ミュージアムショップでグラスをふたつとポストカードを買い、また中庭へ出て海を眺める。愛してやまない美しい美術館での、静かな、完璧な休日。

 

 

 

展示室のすぐそばにある休憩スペースからも海と、その向こうのスウェーデンが見える。

 

 

 

企画展はポップ・アート・デザイン、それからウォーホルの初期ドローイングなど。ポップアートのほうはどうかなと思っていたのだけど、アート作品はもちろん、インテリアから生活用品まで多面的な展示でなかなか面白かった。こちらにもウォーホルの大きな作品が数点。ウォーホル三昧だった。

 

夕方からは、日本人の友達ふたりが家に遊びに来てくれた。喋り、晩ごはんをつくって食べ、喋り、ケーキを食べてまた喋る。楽しくてすっかり時間を忘れ、気がついたときには午前2時になっていて驚いた。

 

幸せな誕生日でした。

 

 

ただその日を通過するだけの話で別にどうってことないと思っていたけれど、実際に30歳になってみると案外気持ちの変化があった。20代の崖っぷちにいたところを救われたような気がなんとなくするし、べつに過去にさよならするわけじゃあないけれど、これまでの10年を「20代」というひとかたまりのものにできるのが嬉しい。10年という長いものさしを横に置いて自分のことを振り返る作業は、ほろ苦いと言えばそうだったけれど(幼かった自分のことを思い返すときはいつだってそうだ)、なにより清々しかった。それなりの覚悟を持って、それなりのものを追いかけて、それなりのことをやった10年だった、と思う。それだけで充分だといまは思える。

 

ロンドン行きを決めたのは27歳のとき。いまさら言うことでもないけれど、考えて考えて考え抜いて出した結論だった。いくつか手に入れた選択肢の中から、結局、いちばん厳しいものを選ぶことにした。その日のことを忘れたことはないし、これから先もぜったい忘れない(だって、その後何度も何度もあの日の自分を呪ったのだから)。夢という言葉が好きじゃないわたしだけれど、やっぱり夢だったのだと思う。ずっと抱いていた、北ヨーロッパのあれこれについてしっかりアカデミックな勉強をしたいという思いと、世界で評価されている大学でネイティブの学生と対等に勉強がしてみたいという(ややミーハーな)思いを、同時に叶えた。それからの2年は英語力すらも中途半端だったわたしにとって挫折に次ぐ挫折の日々だったけれど、それを通り抜ける前の自分はいまでは想像もできない。ルンドでの生活も合わせた20代の最後3年の濃度は、その前の7年をうっかり塗りつぶしてしまうくらいのものだった。

 

この年齢になっても勉強していることへの後ろめたい気持ちはずっと変わらないしこれからも消えないだろうけれど、遠く霞んでいた目標に手が届くようになった手応えを、いまはとにかく大切にしたいと思っている。わかりやすく花が咲かなくてもちゃんと根が張るように、なるだけ水をやってきた。わたしのひとつの柱になっている語学は、終わりのないマラソンのようでときどき底なし沼にも感じるけれど、こういうときわたしを救ってくれる。費やしてきた果てしない時間を圧縮して、目の前に差し出してくれる。

 

もしほかの道を選んでいたらとはもう考えない。30代最初の日々のこの思いを、10年間忘れずにいようと思う。

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03/03/2013

03/3/2013

 

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20代最後の小さな旅。行き先に選んだのは、ストックホルムと、タリンだった。

 

雪が残っているあいだにタリンへ行きたい、と思っていたところに、ストックホルムータリン間の安いフェリーチケットを見つけた。実はストックホルムも前回の訪問は5年半前。いずれゆっくり行くつもりでいたけれど、寄ってからタリンへ行くのもわるくない。そうして、あっさりと週末の旅行が決まった。

 

今年に入ってから随分色んなところへ行っているけど、去年は秋以降どこへも行かなかったし(正確に言うと行けなかった)、旅行というのはタイミングだなあとつくづく思う。

 

 

ルンドからストックホルムまでは、スウェーデン国鉄の特急列車で4時間半かかる。南北に長いスウェーデンの南端に位置するルンドからは、ストックホルムはそれなりに遠い町だ。スウェーデンで3番目に大きな町のマルメまでは電車で10分、デンマークの首都コペンハーゲンまでが50分なのでどうしてもそちらへ行くことが多くて、なかなかストックホルムへ出て行く機会はない。

 

ストックホルムはこれまで二度訪れた。わたしにとってはヨーロッパでもっとも好きな町のひとつで、旅行先として誰にでも勧められる町でもある。新しいものと古いものが美しく混ざり合っていて、見るものも買い物するところも多いのに穏やかな雰囲気を保っている、バランスの良い町。

 

木曜の授業を終えてから電車に乗り、深夜23時40分、ようやくストックホルム中央駅に到着。その日は駅近くのホステルで眠って(コーヒーショップが地下の空き部屋を使って片手間でやっている宿だった、フロントが閉店後のカウンターで、iPadで何もかもやっていたので笑ってしまった)、翌日は朝はやくから動きはじめた。

 

 

 

ストックホルムは、ひさしぶりという感じがあまりしなかった。あいかわらずガムラ・スタンは美しく、広い新市街も、南ヨーロッパのような華やかさはなくても感じが良い。行く店行く店素敵なものばかり置いていて泣きたくなる(なんで泣きたくなるって、そりゃ物価が高くてそうそう買い物できないから)。氷が浮く運河にはオフシーズンで休んでいる遊覧船が、並んでゆったりと浮かんでいた。

 

 

 

公共交通機関もほとんど使わず、広い範囲をとにかく歩き回る。ストックホルムにいられるのは夕方までだし、昔の記憶を頼りに行きたかったところへ順番に行って、郊外など時間のかかるところは次回に積み残すしかない。そんな中で町の風景をすこしでも多く楽しむには、移動を徒歩にするのがいちばんだと思ったのだ(ややマッチョな発想ですね)

 

午後2時ごろにはもう随分歩き疲れていた。カフェに入り、ざわざわした空気のなかでバニラクリームのたっぷりかかったブルーベリーパイを食べる。紫色のベリーがゆるいクリームにマーブル模様をつくるのを眺めながら、スウェーデンに来てもう半年になるのにあらためて、スウェーデンだなあ、と思ったりしていた。

 

 

 

17時45分、船は静かにストックホルムを離れた。携帯電話は、すぐに使えなくなった。キャビンは4人のドミトリーなのに、ほかに誰もやってこない。こんな時期にひとりでタリンへ行く人は、そう多くないのかもしれないな、となんとなく納得する。

 

夕食はお金がないのでピザにした。きちんと温めてくれたし、なかなか美味しかったけれど、10分ほどであっさりと食べ終わってしまった。船のなかを歩くのにも飽き、景色を眺めようにも真っ暗なので、もうキャビンに籠ることにする。まず途中になっていた「感性の限界」という新書を読み終え(デフォルメされた色々な立場の人たちの仮想シンポジウムだった)、year projectのために軽く論文を読んでメモをつくり、村上春樹「遠い太鼓」にどっぷり浸かる。ヨーロッパで暮らした3年間のエッセイ。ときどきくすくす笑う。わたしは実は長編小説以外の村上春樹が好きなのだけど、ファンの人はこういうエッセイをどう思っているのだろう。

 

深夜になっても、近くの部屋の若者たちは騒がしく、上階のクラブの重低音も聴こえつづけていた。こちらもキャビンを音楽で満たして、ささやかに抵抗する。ようやく穏やかな眠りについたときにはもう、3時を過ぎていた。

 

 

翌朝。朝食はマドレーヌと、木曜に日本人の友達からもらったいちごミルク。すこし甲板に出てはみたけれど、体の芯にくる寒さと曇りのバルト海の退屈な風景にさらされて、すぐに引っ込んだ。荷物をまとめ、寝転がってまた本を読む。

 

10時45分、船は予定通りタリンに到着した。5年半前の港の記憶はぼんやりと頼りない。入国審査はなくなっていた。昔は来る度に審査があったから、わたしのパスポートはエストニアのスタンプだらけだっていうのに。

 

 

 

荷物を背負ったまま、旧市街を歩き、いくつかのお店に入ってみる(3泊とはいえ、わたしの荷物なんて軽い)。なつかしい教会の尖塔、城壁、町並み。それでも雰囲気はずいぶん変わっている。昔行った店は、もうほとんどない。土産物屋がますます増えている気がするし、どの店でも似たようなものを売っている。壁が昔より綺麗に塗られている一方で、道には客引きと、座り込んでカップを差し出す人たちが目立つ。そういえば通貨も、エストニア・クローナからユーロになっている。

 

まちが変わっていくのはあたりまえのことだ。それが悪いことだなんて思わないけれど、だけど、それでもすこし悲しい。わたしの記憶のなかのタリンは年々ひたすらに美しくなっていたのだから。

 

 

 

それでも、やっぱりここが好きだ、と思う。タリンへどうしても冬のうちに来たかったのは、ここを思い出のなかの美しいだけの町にしておきたくなかったからだ。夏しか来たことのなかったこの町へ、もういちど今度は冬に来て、また違う記憶を上乗せすることに意味があった。この旧市街の息遣いのような何かがわたしは好きでたまらなくて、そして、それが5年やそこらで変わる類のものじゃないことはわかっていた。たとえばお店が変わっても、ツーリスティックになってしまっても。だから飾られた思い出を守るより、この特別な町を生々しさというか分厚い実感をともなった像として、手元に引き寄せておきたかった。のだ。

 

 

 

昔上った教会の塔へもういちど上るのを楽しみにしていたのでいそいそ行ってみたのだけど、あっさりclosedと言われてしまった。外に出て見上げてみると、以前とたいして変わっていない簡素な足場に、雪がうっすら積もっていた。たしかにあれは危ないわ、そうだよなあ教会を増築していないならあのひどい足場のままだよなあ、と苦笑い。残念だったけれど、なんだかすこしだけ嬉しかった。

 

じゃあ、と以前写真を撮った、旧市街を見渡せた場所を探す。高台になっているところを歩き回って、ようやく見つけた。以前はオンシーズンの夏なのに閑散としていたこの場所もいまは人でいっぱいで、音楽を演奏している人がいたり、屋台のお土産物屋さんが出たりしていた。以前とは違う音を聴きながら、遠目には以前とあまり変わっていない風景を眺める。うすく雪が積もった赤や褐色の屋根が、とても美しい。

 

 

 

もっとも観光客が集まる場所のひとつ、アレクサンダー・ネフスキー大聖堂も高台にある。エストニアが帝政ロシアの支配下にあった1900年頃に建てられた、ロシア正教会の聖堂。いかにもロシア復古主義な外観なのだけど、エストニアの人たちはこの建物をどう思っているんだろう。

 

ところで、ここはいつもどこかを修復している気がします笑。今は真ん中の塔が修復中。

 

 

 

老舗のケーキ屋さんで休憩。ケーキかと思って注文したらほとんどメレンゲで面食らう(でも美味しかった)

 

 

 

タリンの旧市街は、良くもわるくも、普通の人たちの生活から浮いているように感じる。もちろんここで暮らす人も沢山いるけれど、町全体から見ると、ごくごく一部。高いところから旧市街を眺めると、その向こうにバルト海と、旧市街とはまったく違った色彩の町が見える。これがタリン。

 

この町を好きだと言いながら、実はわたしは本当に狭い範囲しか見ていない。そもそもエストニアを何度も訪れながら、タリンにしか行ったことがないのだ。空港へ向かう途中、新市街を眺めながら、もっと沢山のものを見たいな、見ないといけないな、とちょっと後ろめたさを感じていた。

 

 

コペンハーゲン・カストラップ空港からいつもの電車に乗る。本に没頭しているうちに、自分がいまどこにいるのかわからなくなってしまった。硝子に額をつけて、窓の外に目を凝らしても、手がかりがない。なにしろ暗い。目印になるような建物も、ほとんどない。

 

通り過ぎてしまったかといよいよ不安になった瞬間、“Nästa station, Lund, Lund”と耳慣れたアナウンスが聴こえた。ほっとするのと同じくらいがっかりして、自分で自分に驚く。終わってしまうのがとてもとても怖かった。そうは言っても、ただ電車を乗り過ごしたって、なんにも変わらないんだけれど。

 

わたしの20代最後の旅は、こうしてあっさりと終わりを迎えたのでした。

 

 

 

エストニア航空からの、小さな贈りもの。うん、思い返せば思い返すほど、愉しいひとり旅だったよ。

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