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26/04/2013

04/27/2013

 

 

 

 

 

2013年4月26日、実在したベルリン。

 

 

色が、かたちが、その連なりが、意識もせずに捨ててきた選択肢の集積が、いつかまちを吞み込むのかもしれない。

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04/04/2013

04/6/2013

 

これと似た風景、どこかで見た、と思った。だけどどこで見たのかがどうしても思い出せない。長々と考えて、ようやくわかった。シムシティ。ほとんどやったことのない、あのゲームの世界だ。

 

 

グダニスクからワルシャワまでは、電車で6時間以上かかる。時間が限られているなかでそれでもグダニスクを旅程に入れたのは、もちろん航空券の事情や、複雑な歴史をもつグダニスクの町に興味があって外したくなかったというのもあるけれど、なにより電車に乗っていたかったからだった。移動時間は長ければ長いほどいいと言い切るくらい、わたしは電車で過ごす時間を愛している。特に、東欧のなだらかな土地を走る、座席がコンパートメントになっている古い電車が本当に本当に好きなのだ。

 

 

 

グダニスク駅に着いたのは朝7時。電車はワルシャワ経由、クラクフ行き。これだけで胸高鳴る。

 

 

 

電車ではだいたい、ぼんやりと窓の外を眺めながら音楽を聴いたり、本を読んだり、お菓子を食べたり、まどろんだり、なにか普段考えないようなことを考えたりして過ごす。もともとひとり遊びが得意なうえ、電車に乗っていれば何もかもがとくべつになるので、いつまでそうしていても飽きない。

 

 

わたしの同級生には、ポーランド、それもワルシャワで育った子が3人いる。3人ともとにかく洒落ていて、いい具合に力が抜けていて、シュールなものが好きで、力強いけれどどこか翳りのある音楽を聴き、本をよく読む。だから、わたしにとってワルシャワはずっとそういうイメージのまちだった。

 

 

 

ワルシャワ中央駅に着いて宿に荷物を置き、まず向かったのはTarabukというブックカフェ。Biotope Journalさんの「ポーランドで書店」という記事(Link)を読んで、ここだけは必ず行くぞ!と意気込んでいたのだった(わたし、昨年秋からBiotope Journalさんにすっかりハマっていて、特に毎週日曜のメールマガジンはお昼ごろからまだかなーまだかなーとそわそわ待つくらい楽しみにしているのです)。記事で見た通り本当にすてきなお店で、本を次々めくったり、なにやら話し込んでいる人たちをソファーに沈んで眺めたりしていたら、飛ぶように時間が過ぎていった。

 

記事のなかのヤコブ・ブラート氏のインタビューに、“この店では、必ずしもすべての人が本を読んだり買ったりしなくとも良いと思っています。私にとって文化とは、単に本を読むということに限りません。”という言葉がある。自分に重ねるのは変かもしれないんだけれど、インタビューを読んで実際お店へ行って、なんだか目が開いたような気がしたし楽になった。両親から本を読めと言われて育って、初めての北欧旅行でまったく本を読めなかった口惜しい思いを原動力に語学をはじめたわたしは、本に対する畏怖の念がどうしても捨てられず、「読むこと」にも「持つこと」にも固執してしまう。もちろんそういうのが全部わるいわけではないしむしろそれがなくなったら駄目な気もするけれど(すくなくとも、わたしはことばを勉強しているわけだから)、一方で、もっと軽やかでありたいとずっと思っていた。

 

ここで過ごした時間は、なんだかひとつの答えみたいに、すっと胸のなかで溶けていった。知識と愛情を持って、でもざっくばらんに、緩やかに楽しめばいいじゃない。

 

 

 

注文したりんごのケーキは、どこかなつかしい味がした。

 

そしてTarabukは、友達を通じて見ていたワルシャワ、そのものだった。ゆったりと飾らなくて、でもどこかエッジがきいている、思い描いていたワルシャワ。そのことが、とてもうれしかった。

 

 

ワルシャワの旧市街は、宿からTarabukを挟んで反対側にあった。散歩にちょうどいい距離なので、お茶を飲んだあと、ぶらぶらと歩いていく。

 

 

 

旧市街は、想像していた以上にがっつり歴史地区だった(リサーチ不足甚だしくてごめんなさい)。13世紀からの歴史を持つここも第二次大戦でドイツ空軍に徹底的にやられてしまい、戦後もとの煉瓦も使って懸命に再建されたのだとか。ワルシャワの、美しいもうひとつの顔。

 

 

 

イースターの残り香。ポーランドの人、なんかイースター過ぎても飾り片づけてない気がする。なんでだろ。

 

 

さて、翌日にはもうひとつの、楽しみにしていた町へ。ワルシャワから電車で片道2時間半ほどのところにあるトルン。コペルニクスの出身地として有名な、中世の趣が残る町。

 

 

ゴシックの旧市庁舎は14世紀の着工だそうだけれど、ここも幾度となく戦火にさらされたらしく、現在の建物は再建されたもの。塔を破壊したのはスウェーデン軍だ(スウェーデンと反スウェーデン同盟との間で1700年から20年以上にわたって続いた「大北方戦争」中のことで、この戦争は最終的にはスウェーデンの敗北に終わるのだけど、前期に優勢だったスウェーデンはポーランド国王を廃位に追い込んでいる)。新しい町を訪れるたびに、戦争を重ねたヨーロッパの歴史のなかで犠牲を払いつづけたポーランドの像がすこしずつ立体的になっていくような気がして、胸が詰まる。

 

 

 

鳥が群れをなして、広場のうえを横切っていく。この町はその昔ドイツ騎士団の根拠地だったこともあり、ドイツ風の建物が目立つ。この広場に立って真っ先に連想したのは、北ドイツのリューベックという町だった。

 

 

 

聖母マリア教会。ここも外観はふつうの(とは言えそうとう大きいので、ふつうの範疇ではないのかもしれない)ブリック・ゴシックだけれど、内装はこれまで見たどの教会にも似ていない。とにかく絢爛、ロマンチック。こてっとしているといえばそうなんだけれど、見る人をうっとりさせる繊細さがある。

 

信仰のないわたしは、教会を巡りながら、信仰のある人間について考える。ここを作ったひと、ここで祈るひと。淡く想像することしかできない世界がそこにある。ヨーロッパの複雑に編み込まれた基盤の端っこをつかむために、その一方でわからないことに誠実でいるために、宗教と直接の関わりを持たないわたしは建築としての教会をつぶさに見て、それから考えることしかできない。まだ足元はぐらぐらしていて、目的地は遠い。

 

 

 

トルンのお店のディスプレイもまだイースター。アメリカではイースターといえばうさぎだと聞くし、スウェーデンでもうさぎやひよこの形のお菓子をたくさん見るけれど、ポーランドはほかの国に比べてひつじ勢力が強い(気がする)。あちこちのショーウィンドウに鎮座しているひつじ。和むわ、、、

 

 

 

ヴィスワ川沿いを散歩。ねむたげな色彩とゆったりした流れ。

 

 

グダニスクからワルシャワまでの電車は朝早かったこともあってすいていたけれど、ワルシャワ−トルン間は往復とも混んでいた。定員8名のコンパートメントがぎゅうぎゅう。コートかけに吊るしたダウンを背中でつぶして、バッグを膝にのせて、あまり動かないようにじいっと本を読んでいた。

 

ポーランド人はコンパートメントのなかで、もともと一緒に乗っているんじゃないかぎりほとんど話さない。それに加えて英語を話さない人も多いので、電車のなかで会話が弾むわけではなかった。それでもまわりの人たちはさりげなく荷物の上げ下ろしを手伝ってくれたり、行き先を聞いてくれて、降りるときに教えてくれたりした。

 

 

 

もう4月だけれど、窓の外には、雪の世界がつづいている。

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01/04/2013

04/2/2013

 

 

ふたつの試験を終え、羽をのばしに飛んできたグダニスクは、ルンドよりも寒かった。

 

昨夜から降りはじめた雪は、まだ止む気配がない。

 

 

スウェーデンとポーランドは近い。わたしが住んでいるルンドの隣町マルメにある空港からポーランド北端のグダニスクまでは、飛行機で45分。チケットは2千円だった。バルト海を挟んでいるので隣国という感じはしないけれど、実は2都市は400kmほどしか離れていない。離陸してシートベルトのサインが消えてしばらくしたら、もう着陸。日常と旅行の境界を越えられないまま、国境を越えた。

 

空港から210番の路線バスに乗り、中央駅を目指す。車窓からはくすんだベージュの家々と茶色の森、アスファルトと薄く積もった雪、それからどんよりとした空が見えた。彩度もコントラストも低い風景。おそろしく気軽に飛んできてしまったので、スウェーデンとのギャップがのみこめない。ときどき現れる鮮やかな看板広告は別世界から来たものみたいで、通り過ぎてもしばらく目の奥に残った。

 

 

 

中央駅前に着いたのは午後7時。イースターサンデーなので、店はほとんど開いていない。駅の中にあるマクドナルドで夕食を買って、宿へ向かった。

 

 

泊まっている部屋はとても快適だけれど、屋根裏なので窓は小さくて、向かいの家の頭しか見えない。 だから朝、外に出て積もっている雪を見たときにはとにかく驚いた。前夜とはまったく違う風景に面食らって、現在進行形で降り積もる雪をしばらくただ眺めていた。

 

まずは中央駅へ行き、明日のワルシャワへの切符を買う。朝7時7分グダニスク発、13時26分ワルシャワ着の電車の2等席。窓口の女の人と筆談をして無事指定席の切符を手に入れ、外に出ると、雪は勢いを増していた。

 

 

 

運河を目指して旧市街を歩いているあいだにも、雪はどんどん強くなっていった。髪にもストールにも睫にも雪がまとわりついて、溶けきらないうちに重なっていく。足元もあまりよくないので、とりあえず運河沿いのカフェで体勢を立て直すことにした。イースターマンデーで営業しているカフェも少なかったので手近なところに入ったのだけど、注文したペンネとカフェラテはどちらも本当に美味しくて、それだけでほっこり救われた。

 

 

 

白く霞む運河。実際は写真よりずっと霞んでたよ笑。風もそれなりにあったので、橋のうえでは目を開けているのもつらかった!カメラをストールで隠しながら、なんとかかんとか撮影。

 

 

 

暖かいカフェを出て、雪に目を細めながら歩いていたら、教会にしては随分メロディアスな鐘が聞こえてきた。鳴りつづけているので音を目指して歩いていく。鐘は、目抜き通りにある旧市庁舎のものだった。鐘の音と、立ち話をしている人の声と、鳩の羽の音。しんしんと雪が降るイースターマンデーの静かな町の、ささやかなざわめき。

 

こういう瞬間のために、わたしはいちおう定住している場所を離れてひとりで出かけてゆくのだ、と思う。頭がからっぽになって、涙で視界がにじむ。いつも数えきれないほどある「見たいもの」を、こういう思いがけない贈りもののような一瞬は、かるがると超えていく。

 

 

 

背の高い建物が旧市庁舎。無彩色や落ち着いた色の建物が多いグダニスクだけれど、目抜き通りはやっぱり華やかだ。

 

旧市庁舎は、いまは歴史博物館になっていた。グダニスクには、ポメレリア、ドイツ騎士団、ハンザ同盟、プロシア連合(後にポーランド王国の自治都市になった)、ロシア、プロイセン、国際連盟保護下の自由都市、ナチスの支配下、そしてまたポーランドとしての、めまぐるしい歴史がある(あまりにもめまぐるしいので、なにか書き逃しているかもしれない)。この旧市庁舎の着工は1379年、この町がハンザ同盟に正式加盟したばかりの頃で、尖塔が完成して今みたいな姿になったのは自治都市として特権を持っていた黄金時代、16世紀のこと。それから400年後、第二次世界大戦でここは決定的に破壊されてしまった。いまの建物は、そのあと復元されたものらしい。

 

 

 

評議室だった「赤の間」には、16世紀の美しい暖炉が奇跡的に残り、17世紀の絵画が飾られていた。

 

自由を謳歌して、衰退し、周辺国の思惑に翻弄されて、廃墟になり、そして生き返った町を、この市庁舎は知ってる。

 

 

 

雪が止む気配もないので、目抜き通りにあるお店でお茶を飲むことにする。今日2杯目のカフェオレと、りんごのケーキ、両方で12ズウォティ(約350円)。ケーキは量り売り。お姉さんが、どれくらい食べる?と聞いてくれて、器用に切り、お皿にのせてくれた。

 

 

 

自分で言うのも何だけれど、わたしは超の付く晴れ女だと思う。特に2年前にヨーロッパへ来てからはかなりの日数をかけて沢山の国のあちこちの町を巡っていながら、天気がよくなかった記憶がほとんどないのだ。いちにち雨に降られたのは雨季ど真ん中のリスボンへ行ったときと晴れの日が少ないことで有名なベルゲンへ行ったときぐらいなので、そのふたつの町には「雨の町」という強烈な印象があるほど。冬にどこかへ行くこともそれなりにあったけれど、本格的な雪に見舞われたことはいちどもなかった。

 

だからグダニスクはわたしにとって、初めての「雪の町」になった。こうして美しい記憶になるなら、雪もわるくない。

 

 

 

窓マニアなのでグダニスクでもあちこちで窓を撮っていました。

 

 

明日はこの国の首都ワルシャワまで、6時間を超える長旅。ワルシャワは勿論だけれど、大好きな電車で過ごす時間を、とても楽しみにしている。

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