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31/05/2013

05/31/2013

 

 

 

 

 

 

 

 

バルト海に浮かぶ島、ゴットランドにいる。西岸にある町、ヴィスビィに2泊。ルンドを離れる6月8日を前に、課題や試験、荷造りを全部いったん置いて、ともかく束の間なにもかもを忘れようとここへ来た。

 

昨日は霧におおわれていたヴィスビィだけれど、今日は雲ひとつない晴天。何日かぶりにたっぷり眠って昼前にようやく起き出し、町を歩き、教会を訪れ、植物園をぶらぶらして、高台から町を見下ろし、カフェで休み、廃墟でぼんやりと時間を忘れ、海沿いの遊歩道を散歩した。まあつまり、なにもしなかった。特別なことはなにも。

 

結局すこしの間もなにひとつ忘れることができない自分は、あいかわらず不甲斐ない。けれど、この町はどこへ行っても泣きたいくらい美しくて、穏やかで、優しかった。包むようなおおらかさと、独特のリズム。風景がどんどん染みて、そのうち体のふちが溶けて幽霊みたいに透けていきそうだった。心の底から、幸せな一日だった。

 

 

 

初めて訪れた町ではまず、居心地のいいカフェを探す。どこにいても一日一杯、かならずコーヒーを飲むからだ。エネルギー摂取。その一杯にすがるようにして、一日を過ごすこともある。

 

 

 

海辺の遊歩道は昨日今日と、随分歩いた。何往復したか忘れてしまったくらい。海沿いの町で暮らしたことのないわたしは、こういう風景(が、日常であること)にとても憧れている。

 

 

去年から、ぽっきり折れてしまいそうなときになんとなくわたしを救ってくれたのはいつも、海辺の小さな町だった(自分で旅先を選んでいるわけだから、きっと偶然でもないんだろう)。マントン、スランデュドゥノ、シッチェス。その三つの町の記憶は大切にならべて置いてある。机のうえのスノードームみたいに、いつでも見られるように。ヴィスビィもわたしにとってそういう町になるだろうな、と、思う。

 

明日の朝にはフェリーでヴィスビィを発つ。あとたった一週間の日常が、ルンドで待っている。

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17/05/2013

05/17/2013

 

最近身のまわりに加わったもの、について。

 

 

 

以前の携帯が壊れ、さんざん悩んだ末にやってきたSIMフリーiPhone(と、そのケース)、

 

 

 

誕生日にもらった腕時計、

 

 

 

リサイクル素材のA4ポーチはざっくり紙類や教科書を突っ込む用、

 

 

 

ベルリンの蚤の市で買ったネックレス、

 

 

 

ロシアのお土産ものの小箱、

 

 

 

財布に入れたままにすることにした10ズウォティ札と50ルーブル札、

 

 

 

それから、スウェーデンのアーミーパンツをリメイクした鞄。

 

 

ものは持たないほうが身軽だという気はするし、何を持ったって結局違いは微々たるものだという気もするし、そもそも沢山のものが買える状況にはないけれど笑、それでもやっぱり持っていたいものとの出会いがあった4月5月。過ぎていった鮮やかな時間の香りを、こうしてすこしだけ連れて歩いていく。

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05/05/2013

05/5/2013

 

こどもの日。Botaniska Trädgårdenで、お花見をしてきた。数は少なかったけれど、日本らしい桜がふわふわと咲いていた。芝生にブランケットを敷いて座って、アイスクリームと、皆で持ち寄ったお菓子やサラダやソーセージを食べた。暖かく、爽やかな午後だった。

 

 

ルンドへ来ていちばん予想外だったのは、日本人の、それも日本の大学からの交換留学生の子たちが沢山いたことだった。わたしの日本での母校と特別な協定を結んでいるらしく、そこから来ている子たちだけで20人近い。そのほかの大学から来ている子を合わせると、たぶん30人を超える。ロンドンでの2年間をほとんど日本人の集まりには参加せずに過ごしたわたしには、くらくらするほど大きなコミュニティだった。

 

日本からの交換留学生は、ほとんどの子がいま20歳か、21歳。出会ったときにはまだ10代の子もいた。信じられない年の差だと思ったし、正直なところどう接したらいいか最初はわからなかった。自分の年齢を口にして、気を遣われるのが怖かった。年齢は違っても同じ学生なんだから気にしないで、とは言ったものの、差は厳然とそこにあるのだ。だって10歳も違うんだから。

 

そうしてまだ皆との距離をはかりかねていた8月末、イントロダクションコースの試験の帰り道に沢山の子たちと一緒になった。そのときひとりの男の子が、これから友達の家へ遊びに行くのだと言って、わたしを誘ってくれた。その日のことはいまでもほんとうによく覚えている。5人でなりゆきで生地からピザをつくって食べ、中庭で遊び、アイスクリームを食べ、家主のギターに耳を傾け、もうひとりの家主は昼寝をはじめた。よくわからない写真をたくさん撮って、晩ごはんにインドカレーを作って食べた。帰ってきたときには、もう日付が変わっていた。

 

 

 

沢山ほかの子もいるなかでどうして彼がすでに年齢が離れていると知っていたわたしに声をかけたのかは、いまだによくわからない。きっとたいした意味はなかったんだろうし、向こうにしてみたらどうだっていい話だと思う。それでもわたしはずっとひっそりと感謝している。皆の繋がりのなかへ踏み込むことになったあの明るい午後を、彼は作ってくれた。

 

それから、日本人の子たちとは大学で会ったときに話をするようになった。そのうち何人かの女の子が誘ってくれるようになって、学校のそとで待ち合わせてお茶しに出かけるようになった。あの日きっかけをくれた男の子とは、一緒にサッカーを観たりするようになった。

 

10歳は大きい、といまでも思う。話をすればするほど、その差は感じる。けれど、それをなんとなく消化できるようになった。気にしない、とかじゃなくて、10年前のわたしではなく今のわたしで、自然に目線を合わせて、すくなくとも何人かとは接することができるようになった(気がしている)。彼らと話をするのはいつもとても愉しい。

 

皆には、帰ったら“日本の大学生”としての生活がある。わたしがかつて通った、もう戻らない場所。バイト、サークル、シュウカツ、インターン。懐かしいフレーズに、さわさわと撫でられるような寂しさを感じる。彼らには明確に帰る場所がある。同世代の人たちのメインストリームのようなものをすでに離れたわたしは、一瞬交わった違う世代の彼らからも同じように離れていくのだ。たぶん、時間を追うごとに。

 

けれど、それでもわたしは、皆に会えてよかったと思っている。若さにあふれた、つるつるつやつやした、魅力的なひとたち。こういうことを勝手に書くのもまあ気持ちわるいとは思うんだけれど笑、あの子やあの子が、留学先としてルンドを選んでここにいてくれてよかったと素直に思う。友達でもお姉さんでも留学先にたまたまいた変わった人でも立ち位置はなんでもいいけれど、願わくば数年後にも彼らにとってわたしが、遠い遠い世界の人になっていませんように。互いに違う時間を重ねても、ルンドでの1年が生んだ細い糸のような繋がりを保っていられますように。

 

 

今日お花見をしていたら、偶然別々に来ていた友達に会った。一緒にいた子たちに紹介してもらったのだけど、冗談めかして「わたしのお姉さん」と言ってくれたのが、なんだかとてもうれしかった。

 

スウェーデン人やそのほかの国出身の友達もルンドでは沢山できた。つらいことも多かったけれど、出会いにめぐまれた8ヶ月だった。あと1ヶ月。会いたい人に、できるだけ多く会っていたいと思う。

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