Archive of published posts on 6月, 2013

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23/06/2013

06/24/2013

 

 

 

 

ダーラナ地方にある小さな町、レトヴィクで夏至を過ごした。工芸学校で一緒に織りをやっていたイルヴァが、ストックホルムへ行くよりうちにいらっしゃい夏至だもの、と熱心に誘ってくれたので、甘えることにしたのだった。

 

家に飾る花を摘みにでかけ、買い出しをした。夏至祭のポールをたてるのを手伝い、子供たちが走り回るのを眺め、生き生きと楽器を弾く人たちを囲んで踊った。たくさんの人たちと話をして、美味しいごはんをご馳走になった。湖を見下ろしながら散歩をした。家族のパーティーにまでお邪魔して、一緒に庭でバーベキューをした。旅行者としてならぜったいに感じられなかっただろうダーラナの美しい夏至を、イルヴァはわたしに惜しみなく贈ってくれた。

 

 

 

イルヴァと旦那さんのトーレ、普段はストックホルムに住んでいるわたしと同学年の娘クリスティン、クリスティンのふたりのお兄さん、奥さんたちと子供たち(8歳のお茶目なフェリシアは、彼女の部屋や近くにある野外博物館を案内してくれた)。夕食に招いてくれた、イルヴァの双子の妹マリットとその旦那さん。きっとこれから毎年夏至が近くなるたびに、彼らの顔と、一緒に過ごした2日間を思い出す。それで少しだけ真似をして、白と紫と黄色の花を飾ったり、サーモンやポテトサラダを食べたり、苺のケーキをつくったりするんだろう。

 

 

 

わたしがレトヴィクを離れる日の朝、イルヴァは自分で縫ったという民族衣装を着てみせてくれた。白いブラウス、紺のスカート、赤、緑、白、黄、4色のエプロン。湖のほとりの透明な町で彼女は63年間、レトヴィクの人として誇りを持って生きている。かなわないなあって、思う。この町に似合う素朴な衣装に身を包んだ彼女が、とても眩しかった。

 

 

スウェーデンでの生活の、終わりの終わり。忘れがたい2日間になった。

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10/06/2013

06/11/2013

 

6月8日。ルンド大学での10ヶ月の学生生活が、終わった。

 

 

ルンドでの最後の一週間は、尋常じゃない速さでわたしを追い抜いていった。正直なところ全然、気持ちがついていっていない。今ここにいるわたしは間に合わせで連れてこられたダミーかなにかで、本物はまだルンドにいて、学校や図書館で勉強したり、友達とでかけたり、公園を散歩したり、あの部屋で引きこもっていたり、しているような気がする。それくらい現実感がない。遠く離れた場所にいることが、まだ信じられない。

 

一週間試験やなんやかやで忙殺されていたうえ6日が祝日で買い物など出来ないことも多かったので、最後の日はもう分刻みだった。図書館から借りていた本のコピーと返却、友達とお茶、サマーコースのための買い物、荷造り、荷物の発送、片付け、ごみ捨て、掃除。ようやく全部終わったのは午後9時。からっぽの部屋を何度か振り返り、最低限とは言えかなりの量の荷物を抱えて、待ち合わせ場所へ急いだ。パブでいつものようにとりとめのない話をして、男の子たちを歩いて寮まで送り(何故だ)、お別れ。ホテルへ帰り着いたときにはもう午前3時を過ぎていた。

 

さみしがる隙がなくてよかったんじゃないか、が半分、もう少しちゃんとさみしがりたかった、が半分。

 

 

 

春になってからは、すこしでも時間ができれば公園や植物園を散歩していた。どんどん濃度を増していく緑と、長かった冬を忘れる眩しい太陽。空気を思いきり吸い込むたび、細胞が入れ替わるような気がした。

 

 

 

ルンドでのことを細かく振り返ってまとめてしまうとそれで完結してしまうというか、できればずっとふわふわさせておきたい感情のまわりに明確な線を引いてかたちにしてしまう気がするので、あまり書かないことにする。とにかく、あの美しい小さな町でまとまった時間を過ごせたのは幸運だった。そのなかで色々な人に出会えたことも。つらかったあれこれを、やさしい思い出がしっかりと包んでいる。

 

蓄えた10ヶ月分の日常は、これからもあの町とわたしを繋ぎつづける。すこしずつ消費しても、零しても、薄まっていっても、きっとなくなることはないはずだ。

 

 

 

10日間ほど東欧を旅していた友達から返してもらった本は、カバーがぼろぼろになり、中の紙も反っていた。何したらこうなるの、と驚いて聞いたら、リュックの外側のポケットにさしてたんだけどずっと雨だった、特にプラハが大雨だった、と言う。そういえば、とニュースで見た地下鉄の駅が水没しているプラハの写真を思い出した。なるほど、あれか。ぱらぱらとめくると、飛行機の半券がはさまっていた。わたしと同じ癖だ。

 

プラハの雨だよちょっといいでしょ、としゃあしゃあと言って笑うので、こちらも笑ってしまう。悔しいけれど、たしかにちょっといい。半券は、ぼろぼろにしたかわりに(と言ってはなんだけれど)はさんだままもらうことにした。あらためて見てみるとマルメからストックホルム、ストックホルムからヴィスビィまでのものが綴りになっている。貸したのは随分前だから、ゴットランドにも持っていったのかもしれない。

 

そういえばわたしはこの本を、ストックホルムからタリンに向かうフェリーのなかで読んでいた。どれだけ傷んだとしても、ふたりの人間と長い距離を旅したこの本はもしかして幸せかもなあ、と、思う。

 

上手く説明できないけれど、わたしが何より大切にしたいのは、たぶんこういうものとこういうことだ。

 

 

誰にもどこにも吐き出せなかったことを迷った末に言葉にして、それなりに整理がついた気がした。感情の濁流にのまれるような瞬間がときどきやってくるのは、大人になってもあいかわらずだ。他人にも自分にもなるだけ誠実でいるために何をしたらいいのか、どれが正解なのか、そのたびに死ぬほど考えるけれど答えは出ない。

 

口にださないほうが、誰かに聞かせないほうがいいことはもちろん沢山ある。けれど、自分自身を、誰かとの関係をそれ以上歪ませないために、嘘を言わないために、あえて言葉にして昇華させたほうがいいこともたぶんある。そういうことを正しく選べるのが大人だと、思う。今回は正しかったと思いたいし、それをこれから証明しないといけない。

 

それにしても、感情の起伏が少ない人が本当に羨ましいよ。。まだまだ修行が足りないわ。

 

 

一昨日からは、中央スウェーデン・ダーラナ地方にある工芸学校のサマーコースに来ている。山奥で念願の機織りだ。朝8時から夜8時までずっと同じコースの人たちと先生と一緒にいるので(お茶休憩や食事の時間はあるけど、結局みんな一緒に食べるのでひとりになることはない)、スウェーデン語フル回転。ルンドでもこんなに一日中絶え間なくスウェーデン語を喋っていることはなかったような。いまのところは作業というよりそれに生気を吸い取られている。

 

ちなみに機織りは現在縦糸地獄。うーん、先は長い。

 

 

 

寮の部屋はそれぞれにスウェーデンの地域の名前がついていて、わたしの部屋はスモーランド。確かにそれらしい雑貨が置いてある。

 

2週間弱のここでの生活を、まずはめいっぱい楽しみたいです。

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