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22/10/2013

10/22/2013

 

クラクフへ向かう日の朝、吹雪に霞む文化科学宮殿。ワルシャワの記憶は、雪に埋もれている。

 

 

そもそも文章を書くことがさして得意ではないわたしだけれど、旅行記を書くのはとくに苦手だ。どこまで町やら何やらについて説明するか、どこまで自分の感情に触れるか(わたしの場合旅行といえば半分逃避なので内省的になりがちなのだ)、綱引きをはじめてしまってもう、ぜんぜん進まない。自分の語彙の貧弱さを呪いながら、うろおぼえの話は一応調べたりしながら、時間をかけていちおう形にする。有益な情報を発信するわけでもないただの趣味ブログなのだからゴットランドでの日記(Link)みたいに存分に感傷的になってぶっちぎってしまえばいいんだけれど、これはこれで数年後、黒歴史になっていそうで恐ろしい。ともかく、えーと、苦手ってことです。旅行中のことを、書くのが。

 

そんなわけで、わたしは結局あまり旅行記を書いていない。ドイツでのバウハウス巡礼も、ロシアのサンクトペテルブルクで駆けずり回ったことも、スウェーデンの山奥で2週間機織りだけして過ごしたことも、結局ちゃんと書かずに終わっている。わたしは紙の旅行用メモを持たないので、記録はツイッターに書いたことと、場合によっては携帯のメモに残してある端切れのような文章と、写真だけだ。そして、実はそれで十分だと思う。写真はいつだってとても雄弁だし、ツイッターはこれはこれで生き生きとしているし、それだけで記憶はずいぶん立体的なまま保てるのだ。

 

けれど、いまになって急に、すこし怖くなった。わたしが持っていられる記憶は、奥深くに眠るものも含め、ぜんぶでどれくらいなのだろう。それ以外のことはぜんぶ、忘れていってしまうんだろうか。手放したらもう拾い上げられないんだろうか。思い出は少しずつさびついていくのがいちばんよい、美しい、と思っているけれど、その過程で失いたくないものが、本当はまだあるんじゃないのか。

 

そう思ったらやっぱり、日々の雑記も旅行記もちゃんと書きたいなあと思った。なんでここにって、それは、テキストサイト(なんと懐かしい響き!)を13年、やっているからです。恥ずかしくて死にたい気分のこともあるけれど、こういうことを飽きずに続けていて、楽しいから。書くことが得意なわけではないけれど、好きなんだなあ、と、思う。

 

 

 

 

で、なんでこんなことを唐突に考えたのかというと、ウェブ用の画像フォルダを整理していて、クラクフの写真が出てきたから。3月31日から4月7日まで訪れていたポーランドの旅行記は3回に分けて書くつもりで、1回目のグダニスク(Link)、2回目のワルシャワ・トルン(Link)は現地で更新したのだけど、最後に3日も滞在したクラクフについては載せるつもりの画像だけつくって結局なにも書かないまま放っておいてしまったのだった。本当のところを言うと本屋で過ごした時間が長すぎて特別書くことがなかったわけなので笑、それはそれでいいやとは思うんだけれど、やっぱり断片でも書いておいたほうがよかったかな、とちょっとだけ思ったりして。

 

 

 

なので今さら完結させるべく少しだけ、クラクフのこと。グダニスクとワルシャワは4月なのにもかかわらず吹雪だったけれど、クラクフでは雪はいちども降らなかった。めずらしく貸しアパートのようなところで3泊して、1階がパブだったので奇声をあげる成人男子たちが中庭と階段に深夜までたむろしていて無防備なあの部屋ではなかなか恐ろしかった。丸3日間、旧市街を中心に随分広い範囲を歩き回った。時間があったので地図を基本的に持たずに歩いていて、盛大に道に迷ったりもした。教会の内装に圧倒され、妙にテンションの高い英語のオーディオガイドに笑った。川沿いをひとりぽつんと歩いていって、西友みたいな店でぼんやりと食料品のパッケージを見てまわった。

 

ユダヤ人地区ではしつこい客引きにあったので、無理矢理スウェーデン人のふりをして切り抜けようとした(ちなみにこれはスウェーデン語版の案内を出してこられて失敗に終わった、ポーランドとスウェーデンは隣国だった、すっかり忘れていた)。古いものを雑多に置いている店でおじさんと片言で会話して、栓抜きと、なぜか「メイフラワ—号」と書かれた船のかたちの金属を買った。

 

 

 

 

 

それから、本屋にいた。ポーランドの絵本にすっかり心を摑まれてしまって、どれを買って帰るかあれ以上ないほど真剣に選んだ。カフェが併設されている素敵なお店が何軒もあったので、そこで長い時間、コーヒーと本とともに静かに過ごした。読めない言語の本は手に入れないことにしているわたしだけれど、ポーランドは特別だった。

 

 

 

 

朝食は、Cafe Camelotというお店に通って食べていた。ふわふわのオムレツにパン、紅茶で500円くらい。すてきなお店だった。オープンサンドやオムレツの具の組み合わせがどれも新鮮で、とても参考になった。

 

ポーランドへ行った頃は、直前にアイスランド語と音声学の試験を終えたところで、スウェーデンでの生活の終わりが見えてきて焦っていたように思う。溶けない氷の塊みたいなものを、お腹のなかに抱えている気がしていた。そのせいか、窓のそとの雪景色を眺めていた長距離列車での記憶が、ほかの全部を霧のようにうっすらと覆っている。そして、クラクフではなんといってもブックカフェの記憶がとても大きな割合を占めているのだけど、そこで具体的に何を読んでいたのか、何をしていたのかは実はぜんぜん覚えていない。きっとなにかしら日本語の本を読んで、そんな時期だったから、ぼんやり考えごとでもしていたんだろう。

 

あと、もうひとつ。その後、友達からポーランドどうだった、と訊かれたので、楽しかったよクラクフではずっと本屋にいた、と答えたことがあった。そうしたら、なんで?読めないじゃん、と笑いを含んだ声が返ってきてちょっと驚いた(普通にへえいいねって言って終わるかと思っていた、本読む人だから)。それで、ああこの人のこういうところとてもいいなあ、だから話をしたくなるんだなあ、と思ったのだった。誰かとの何気ない会話が突然強烈な印象を残してその人のイメージを決定づけることが稀にあって、あれは些細だったけれどまさにそういう瞬間だったので、ルンドに帰ってからのことだけれどクラクフの記憶の一端として印象深く残っている。

 

 

旅行記を書くのが苦手なわたしだけれど、読むことは大好きだ。一昨年ノルウェーのフィヨルドに浮かぶ船のうえでサン=テグジュペリの“Wind, Sand and Stars”(邦題は『人間の土地』)を読んだことがきっかけで、旅行記や外国の香りのするエッセイを好んで旅行中に読むようになった。チェコでは沢木耕太郎の『深夜特急5』を読んでいたし、スペインではチャペックのスペイン旅行記、20代最後の旅行になったエストニアでは村上春樹『遠い太鼓』(この本はその後紆余曲折あってスウェーデン・ダーラナ地方での山ごもり中、それからニューヨークでも読むことになった)、ポーランドの長距離列車では須賀敦子のイタリアでのことを綴ったエッセイ。本のなかの場所は、そのとき実際にいる国や地域と合っていてもいなくても、どちらでも構わない。

 

この2年のわたしはそうして、いつも本の世界を重ねて旅をしている。遠い未来かもしれないけれど、いつかわたしも鮮やかに自分の体験を描けるようになればいいなあ、と、思いながら。

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19/10/2013

10/19/2013

 

ロンドンでいちばん好きな場所、プリムローズ・ヒル。何十回も来ていてもう見慣れた風景だけれど、それでもここに立つたび、体中の毒がすーっと抜けていく気がする。

 

「(ここを離れるとき)節目にわたしはもう戻らない時間を束ねて、表紙に何重にも焼きついたプリムローズ・ヒルの風景を飾るにちがいない」と書いたことがあったけれど、その思いはルンドでの1年を経験したいまも変わっていない。

 

 

授業が始まって3週間が経った。1年のブランクがあるとはいえ先生もクラスメイトの一部も馴染みのメンバーなので、初週からほぼアクセル全開。イギリスの大学ってこんなだったっけか、、、としみじみする暇もないまま山のように課題を積まれ、すっかり目を回しているうちに授業が3周していた。しかも今年は妹もロンドンにいるので週末一緒に出かけたりしていて、そうすると平日にちょくちょく朝までやらないと課題が終わらないので、睡眠がもう不規則極まりない。いい歳なんだからもうちょっと体にやさしい生活を送るべきだとは思うんだけれど、まあね、うん。

 

とはいえ、スウェーデン語はまわりとの差は感じるもののルンドで悪戦苦闘した分さすがに随分よくなっていて、1年前なら確実にこなしきれなかっただろう量の課題をなんとかこなしている。フィンランド語も1年授業としては休んでいたので心配していたのだけど、文法じたいは繰り返しやっていることもあって、まずまず好調。どちらの言語もそれなりに重ねてきた成果がちゃんと見えるので、やる気は失わずにすんでいる。これからさらに忙しさが増していくであろう最終学年、この調子で繋いでいけたらいいのだけど。

 

 

 

ロンドンに戻ってきたばかりの頃は、スーパーやデパートに並ぶカボチャやおばけたちに気が早いなあと呆れたりしたものだけれど、気がつくともうハロウィンまで10日あまり。あまりの時間の流れに、このままではあっという間にクリスマスがやってくる、と怯えたりしている。日々を手を離すと飛んでいってしまう風船のように感じることもあるけれど、まあでもこの3週間を振り返ると、毎日時間をほぼ余すことなく使っているし、できることは全部やっている、のかもしれない。飛んでいってしまっているわけじゃない、たぶん、と気をとり直す。

 

なにはともあれ、普通に学校に行くだけで色んな人からお菓子がもらえるし、大学生たちの血みどろゾンビ本気仮装が見られるので(仮装といってもぜんぜん可愛くはない、奴らは本気だ)、ハロウィンは毎年楽しみです。笑。

 

 

 

ラウリーの展示が観たくて、会期ぎりぎり、テート・ブリテンへ行ってきた。作品じたいも単純にとても好みなのだけれど、なによりその一貫性にぐっときた。描く対象もまなざしも画家としての人生を通して変わらない。美しいと思う。信念のようなものが滲んでいて、ぞわぞわする。生み出すことと、続けること、どちらにもきっとわたしには想像もつかないくらいの膨大な熱量が必要だ。

 

カタログはペーパーバック版をいちど手に取って戻し、長く付き合うのだからとハードカバー版を買うことにした。掌や膝にのせてページを捲っても曲がらない、しっかりと重い表紙がうれしい。

 

 

 

BOYのMutual Friendsは今年いちばん部屋で流しているアルバムのひとつで、いつも夜にかけている。この曲はこのアコースティックバージョンがとくに好き。終わりのほうに入っているのだけど、流れてくるとつい手をとめてしまう。“Waited for your call, for the moon” “To release me from the longest afternoon”

 

寒くなってくると、アコースティックギターの音が聴きたくなります。なんでだろ。

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