Archive of published posts on 12月, 2013

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27/12/2013

12/27/2013

 

 

何重にも彩りが足されていく街と、独特の高揚感、だれかと会うたび繰り返すメリークリスマス。

 

 

2013年は、正直な話、いい年だとは言えなかった。以前のわたしを支えていたものはほとんど半分が砕け散って、いまは鋭い破片になって降る。結局うまく防御ができないまま目を瞑って耳を塞いで、世界一切を騙してひっそり閉じこもる、そんなわたしからクリスマスは遠かった。

 

それでも、クリスマス当日は穏やかに過ごせたし、そのあいだはそれなりに色々なことを忘れていられた気がする。ふつうの2日間だったけれど、車で神戸まででかけていって、町をぶらぶらしたり、須磨海岸で貝殻を拾い集めたりした。25日には、いいお天気の鴨川を眺めながら、ケーキも食べた。イルミネーションを見なくても、ケーキ以外にはそれらしいものを食べなくても、わたしには特別なクリスマスだった。

 

 

救われたいとは思ってもだれかがわたしを擁護するところを見たいわけじゃない、それならもっと潔くあるべきだ。だれかになにかに振り回されることが多くても、なんでこうなの、なんでそうなの、と文句を言うことをまずはきっぱりやめればいい。結果損が増えるだけだとしたって、些細なことを見たくないと思ったり聞きたくないと思ったり、そんなのはもういいかげん嫌なのだ。

 

迎え撃つ。来るなら来い、2014年。

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16/12/2013

12/16/2013

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとなくロンドンへ来たころのモノクロ写真を見返していたら、止まらなくなった。なんてことない一枚一枚に、できごとが、感情が、蔦のように絡みついている。思い出と呼べるのかわからないそれは月日がたって、枯れるどころか、育っている。

 

 

いろんなことがあった年だった。学生デモ、大雪、ロイヤルウエディング。そのなかで流れつづける日々。自分が撮ったものなのに、遠い。こんなに思いが絡まっている写真なのに遠いなんて、絶望的だ。

 

今でも近いかたちで存在しているものも、もうそこにはないものも、たくさん写っている。写真ってそういうものだ、あたりまえの話だ。けれど、こんなふうに無邪気に過ぎ去ったものを、もう戻らない自分の感覚を突きつけられることになるなんて、なんでだろう、当時は思いもしなかった。

 

わたしはこの頃みたいに、愛情をもって毎日を受け止めているだろうか、今。そんなことを、考えた。

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14/12/2013

12/14/2013

 

 

 

 

 

町から町へ、ふわふわと漂う。

 

 

はじめての町ではどこかで地図をもらって、一度じっくり見ておいて、なるべく頭に入れてしまう。そうして上を向いて、歩く。遠くになにかが見えたから、そっちに向かう。坂だから、とりあえず下る。そんなことを繰り返しているうちに頭のなかの現在地と実際の自分の場所はずいぶんズレていたりもするけれど、自分がいいのだからそれでいい。

 

ちゃんとしたレストランに入ることはめったにないけれど、公園でベンチに座って食べるごはんは美味しい。贅沢してカフェで飲むコーヒーも、美味しい。スーパーマーケットや偶然見つけたスリフトショップや寂れたお土産物屋さんでまだ見ぬ何かを探すのは、いつだって楽しい。

 

安心してよそものでいるって、なんて身軽なんだろう。何にも持たなくていい、何にもしなくていい。ただ見るためだけにあるはじめての町は、いつも何とも言えず澄んでいる。

 

 

 

ポルトガルが好き、ほんとうに好き。言葉がわからない国のなかで、たぶんいちばん好きだ。

 

この瞬間の網膜を眼鏡みたいにして取っておいていつでもかけられたらいい、と思う。だけどそうもいかないから、せめて風景を、光を、いっぱいに吸い込む。5日間の、北ポルトガルでの冬休み。

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01/12/2013

12/1/2013

 

 

パリへ来るのは、たぶん六度目だ。

 

 

パリではいつも、美術館を巡っている。今回も限られた時間ではあったけれど、土日でマルモッタン美術館、装飾芸術美術館、アンリ・カルティエ=ブレッソン財団、ヨーロッパ写真美術館へ行くことができた。本当はオルセーも再訪したかったのだけど、時間がたりず断念。それから、今年再開したはずのピカソ美術館はまた改装のため閉じていた。楽しみにしていたのに、あそこは一体いつちゃんと開くのだろう。

 

むかし芸術家たちが集まったというカフェに憧れているので、モンパルナスへ行ったりもした。今度こそどこかに入ってお茶でも飲もうと思っていたのだけれど、値段と中にいる人たちの雰囲気にたじろぎ、ただ周りや墓地を散歩して帰ってきた。か…、悲しくなんかない、ぞ。。

 

ところで、パリはいつ来ても曇ってる印象なんだけれど、ロンドンと同じでこういう天気の町なんだろうか。

 

 

 

何度来ても馴染まないこの町でひとつ、とても大事に思っている場所がある。ルーブルからそう遠くないところにある、カフェ・ヴェルレ。パリへ来たときにはここでコーヒーを飲み、そのあとチュルイリー公園を散歩する、これはゆずれない。日曜はお休みなので週末旅行がほとんどのわたしはそのほかの予定との調整がなかなか難しかったりもするのだけれど、それでもたっぷり時間をとって、かならず来る。

 

すごく特別な雰囲気のあるお店というわけではないけれど、ここで美味しいコーヒーを飲みながらつぎつぎ来て豆を買っていくお客さんたちを眺めていると、緊張がほどける。わたしにとっては、注意深くそっと置いておきたい、砂に描いた丸い陣地みたいな、そういう場所なのだ。

 

 

 

写真美術館には長い行列ができていた。疲れていたのでいちど休憩して(サン・ポール駅前にはここではあまり見かけないスターバックスがあった、天の助け!)、しばらくしてから戻ってみたものの、行列の長さは変わらない。しかたがないので最後尾につき、暗くなりはじめたなか、本を読んで待つ。

 

持っていた本はエリアス・カネッティ『マラケシュの声』。駱駝とスークのモロッコから、フランス・パリの路地裏に目を移す。ここからだとモロッコよりも、日本のほうがはるかにエキゾチックに思える。日本の風景を思い出そうとしても、突然現れたぴかぴかのガラスケースのなかにある手の届かない商品みたいで、目が眩んで、うまく取り出せない。生まれ育った場所がこんなに遠くて、パリは近づけば近づくほど遠ざかっていって、ああもうどこまでもひとり、と極端な絶望的な気分になる。そんな自分がおかしくて、笑う。

 

 

パリは、異国の町だ。もちろん日本以外ではどこにいてもそうなのだけど、他の言葉が通じない国のどの町よりもここではもっとはっきりと、わたしは異国人なのだ。この町ではわたしは異質で、歩いても歩いても触れるところにささやかに波が立つだけで、溶けることはない。どうしてなのかはわからないけれど、振り返れば最初からそう感じていた。

 

わたしはパリが好きじゃない。7年前に初めて訪れてから今までずっと、ぜんぜん好きじゃないけれど、なぜかここでだけ味わう自分の輪郭がくっきり浮き上がるような孤独感はけっこう好きだ。これを味わいたくてこんなに何度も来ているのかもな、もちろん美術館へ行きたいのもあるけれど、ともう暗い路地で並びながらひとり納得したりしていた。

 

– パリでのtwitter(日付、時間は日本時間です)

1日目() – 2日目() – 3日目(

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