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31/01/2014

01/31/2014

 

自分の長い長い旅の始まりについて考えるとき、浮かんでくる風景がある。

 

リトアニア中部の町、カウナス。両側に店が立ち並ぶ目抜き通りは静かで、誰も歩いていない。日曜でどの店も開いていないからだ。どこまでも明るい空の下、街路樹の葉が風にさわさわ揺れる。振り返ると水色の屋根の聖ミカエル教会。白い建物のうしろから、飛行機雲がまっすぐに伸びていった。

 

 

リトアニアへ行ったのは、2007年7月のこと。切符は片道だった。ちょっとそこまで、という大きさのリュックに、カメラとネガフィルムとペン、ラップトップ、着替えを少しとガイドブックを一冊、それだけを放り込んで家を出た。

 

念願のリトアニアだったはずなのに、旅の経験がまだそれほどなかったわたしは初日でぽっきり心が折れた。道行く人に話しかけても英語はまったく通じずバスやら何やらのアナウンスもすべてリトアニア語。ペットボトルひとつ買うにも慣れない通貨にまごついた。何より驚いたのは、お店の人がまったく言葉を発さず、にこりともしないことだった。今考えてみるとあの辺りの文化では普通のことなのだけれど、何も知らなかったわたしは会う人会う人に、町に、なんとなく拒まれたような気になったのだった。

 

一日ヴィリニュスで過ごしたわたしは、翌日すぐに別の町へ移ることに決めた。行き先はリトアニア第二の都市、カウナス。西の海岸沿いにどうしても行きたい町があり、そこへの中継地点になると思ったからだ。午後いちばんのマイクロバスに飛び乗り、西へ。カウナスに着いたのは午後3時だった。

 

 

その日の宿を探すため、標識にしたがって観光案内所へ向かう。目抜き通りに緑のiマークを見つけ、喜々として近づいていくと、なんと閉まっていた。7月ってもちろんオンシーズンでしょう、しかもまだ3時なのに、と思ってはたと気がつく。今日、日曜だ。ウィンドウの営業時間を見ると、日曜は午後2時までと書いてある。そういえば周りの店も、どこもやっていない。

 

とりあえず木陰のベンチに腰掛け、ぼんやりと考える。これからどうしようか。野宿するわけにもいかないし泊まるところを探さないといけないけれど、周りにホテルらしい看板は見えない。インターネットが使える場所もなさそうだ。誰かに聞こうにもほとんど人が通らないし、だいいち言葉が通じるか怪しい。首都のヴィリニュスでさえ、英語が通じたのは観光案内所の人と、宿の人だけだったのだ。

 

そのとき、前日いちども開かなかったガイドブックがリュックに入っているのを思い出した。ごそごそ取り出して、カウナスのページを探す。三国分なのに薄いそのガイドブックは、リトアニアでは大きな町のはずのカウナスにもほとんどページを割いていない。『泊まる』という欄を見ると、ホテルが七軒載っていた。それでも情報がないよりましだ、と立ち上がる。とりあえず端からあたってみよう。一泊だけだから、どんな宿だったとしてもたぶんなんとかなるだろう。

 

空室は、ここがだめならもう市内中心部から離れたところしかない、どうか空いていてくれ、と祈る気持ちで入った四軒目のホテルでようやく見つかった。聞いてみると値段もそこそこだ。それ以上宿を探し歩く気にはなれなかった。さっそくチェックインして、ベッドに倒れこむ。わたしのちゃちな冒険は、そうしてひとまず終わった。

 

 

ベッドから窓の外を見やると、まだ明るい。せっかくいいお天気なのでホテルを出て、さっきベンチに座って打ちひしがれていた目抜き通りへと戻ることにする。疲れてはいたけれど、体は軽かった。

 

通りにはあいかわらず、ほとんど誰もいない。真ん中に並んで植えられた街路樹が、綺麗に舗装された道に濃い影をつくっていた。強い夏の日差し。振り返ると建物と街路樹のあいだに、聖ミカエル教会の白い壁と水色の屋根が見えた。

 

そして一歩を踏み出したとき、あの、視界がぱあっと広がるような、忘れようのない不思議な感覚に襲われたのだった。周りの景色がぐるりと回って、自分を空高くから眺めているような気がした。限りなく小さくて、限りなく大きな自分。どこへでも行ける、と思った。どこへ行ってもいいのだ、世界は全方位に続いている。実際には制約だらけで限りがあるともちろん解ってはいたけれど、それでもそれは初めて感じる、圧倒的な自由だった。

 

 

あのときどうしてあんな気持ちになれたのか、いまだによくわからない。ちょっとしたピンチを切り抜けたことでハイになっていただけかもしれないなあ、とも思う。けれどその一瞬の感覚は、しっかりとわたしの芯に根をおろした。どこへでも行ける。24年間でつくりあげた小さな世界の外への、最初の一歩。

 

ちなみに、海岸沿いの行きたかった町(クルシュ砂洲にあるニダという町で、トーマス・マンが気に入って避暑に訪れていたというところだ、カウナスからは片道4時間かかる)へは結局行くことができなかった。バスが満員で、切符が買えなかったのだ。結局わたしは西へ行くことをあきらめ、ラトビアを目指して北へ向かうことに決めた。いくら地面が続いていても、自由を手にしていても、どこまでも歩いてゆくというわけにはいかない。あんなに壮大な気持ちになっておいて、可笑しいんだけどね。

 

カウナスでのあの瞬間や、写真の“十字架の丘”での時間を含め、バルト三国の旅での経験はいまのわたしの土台になっている(十字架の丘での写真をここで使ったのは、単純にカウナスでの写真がいま手元にないからなんだけど)。けれどエストニアのタリン以外は再訪することのないまま、気がついたら6年半が過ぎていた。

 

大学生活を終える予定の今年の夏は、もういちどリトアニアとラトビアを旅したいと思っている。出発点は、カウナスの、あの場所にしたい。

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22/01/2014

01/22/2014

 

好きな花が沢山マーケットに出る季節になった。ミモザ、フリージア、チューリップ、ヒヤシンス、アネモネ、ラナンキュラス、どれも好きなので目移りしてしまう。この季節の花選びは、毎年とくべつ真剣だ。

 

なかでもミモザへ憧れにも執着にも似た気持ちを抱くのは、ボナールが描いた風景を思うからだろうか。

 

 

ロンドンに戻ってきてからの一週間は、ひたすらにエッセイを書いていた。そしてそれを出した日から授業がはじまり、あっという間に一周半。気がついたら今月も後半、というか終わりに差し掛かっている。日本から持ってきた荷物を片づけ終わることができないまま、わたしの生活は静かに回る。

 

目の前のことに集中することで余計な感覚を捨てるようにして、そうして秋が終わって、冬が来た。今度は、麻痺させていた感覚を取り戻さないといけない。そうしないと行き詰まってしまうことが目に見えているからだ。斯くも面倒な自分、まずは乗りこなす体力をつけなければ。

 

 

‘Then at some point I no longer see what I’m reading. At some point there is only my voice in the living room and the light of the sunset from Sydhavnen. And then my voice isn’t even there; it’s just me and the boy. ‘

— from Peter Høeg “Miss Smilla’s Feeling for Snow” (translated from the Danish by F. David)

 

美しいと思うものは、なるだけ仕舞うんじゃなく散らかしていきたい。

 

 

今年のロンドンは、いまのところ暖冬だ。わたしが住んでいるアパートは築100年を超えているうえ(1900年代初頭の、いわゆるエドワーディアンの建物なのであります)セントラルヒーティングも入っていなくてとにかく寒いのでありがたいといえばありがたいのだけれど、なんとなく肩すかしを食らった気分というか、正直ちょっと物足りない。雪が舞う、凍える寒さのロンドンの冬に、なんだかんだ今年も来てほしいのだ。

 

 

愛してやまないこの町での冬、アコースティックギターの音と、霧に浮かぶ明かりのようなエマの声を。

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