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10/06/2014

06/10/2014

 

ロンドンについてひとつだけ話をするなら、

 

 

ロンドンには、いたるところに大小さまざまな公園がある。夏はざわざわ緑が重なり、秋は色づいた葉が公園のそとにまで舞う。冬には葉の落ちた細かな枝が、空に血管のような模様をつくる。そして春になると、あらゆる木から芽が吹き出し、これでもかと花が咲いて、公園は人でいっぱいになる。もう町じゅう皆が浮かれているんじゃないかっていうくらい人が集まって、大抵の公園が混むのだ。本を読む人、昼寝をする人、コーヒーを飲む人、友達と話をする人、犬とたわむれる人、フリスビーやボールで遊ぶ人。

 

ひとりで、友達と、よく散歩をしたリージェンツ・パーク。鬱蒼として飾らないハムステッド・ヒース。陽気な人たちが狭い場所にひしめき合うソーホー・スクエア。天文台を眺めながら歩くグリニッジ・パーク。いつも教室の窓から見えていたゴードン・スクエア。それから愛してやまない、丘のうえからロンドンを見渡せるプリムローズ・ヒル。特別に思っている公園は数多くある。だけどわたしにとって本当に大切なのは、“ロンドンの公園”を一括りにした幻影というか、概念のようなものなのだと思う。広がりがあって、でも強固で、無限にじんわりと熱を発するような、そういうもの。

 

ロンドンの公園を歩くと、その面影を目の裏に浮かべると、日常には血がかよっていることを思い出す。わたしの思う、世界を最大限美しく紐解くための文法みたいなものを、軽やかに、けれど鮮やかに、示してもらったような気持ちになる。そのことが、複雑に絡みあったかなしさや苛立ちや、口にしたくないあらゆることをすべて押し流してくれるわけではないけれど、それでも次の日を過ごすために必要なものは貰える気がする。のだ。

 

 

 

まあでもこうしてなかなかに重たいものを押しつけておいて何だけれど、そこに居るだけでただただ癒されるっていう、単純な感情もある。公園はまさにわたしの癒しだった、4年間ずっと(それはそれでまた別の重さがあるな、うーん)

 

最後の週末は風邪をひいてしまって大半の時間をベッドで過ごしたけれど、日曜の夕方にはマグカップとピクニックシートを持ってカーディガンを羽織り、家の裏にある公園に出ていった。いいお天気で、日が長い時期だからまだ太陽も高くて、結局そのまま2時間雑誌をめくったり音楽を聴いたりして過ごした。残念は残念だけども、いまはこれでよかったんじゃないかと思っている。日だまりの中のあの幸せな2時間は、ちょっと忘れがたい。

 

 

たった4年、ロンドンに住んだのはそのうち3年。だけど、全力で暮らしていた日々、歯がゆさにとりつかれては机に向かっていたあの日々は、わたしにとってあまりに大きい。

 

関東の大学に通うことが決まって京都を離れるとき、「ここからわたしがいなくなるって、どういうことなのだろう」とこの日記に書いたのを覚えている。10年以上の月日がたって、はじめてあのときと同じことを痛いくらいに考えた、そういう5月だった。

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