10/03/2013

by lumi on 03/10/2013

 

3月1日、30歳になった。

 

 

誕生日はたまたま学校が休みだったので、コペンハーゲン近郊にあるルイジアナ近代美術館で過ごすことに前々から決めていた。天気を心配していたのだけど、ふたを開けてみると今年いちばんの晴天で(母にそうメールしたら、「極め付きの晴れ女ですねえ」と返事がきて笑った)、ほんとうに春が来たように暖かく気持ちのいい日だった。新しいカーディガンを着て、電車に乗って、いそいそ出かけていった。

 

展示をじっくり見て回り、彫刻が点在する中庭を散歩して、カフェで海を眺めながら昼ごはん。凍った池のほとりを歩き、ミュージアムショップでグラスをふたつとポストカードを買い、また中庭へ出て海を眺める。愛してやまない美しい美術館での、静かな、完璧な休日。

 

 

 

展示室のすぐそばにある休憩スペースからも海と、その向こうのスウェーデンが見える。

 

 

 

企画展はポップ・アート・デザイン、それからウォーホルの初期ドローイングなど。ポップアートのほうはどうかなと思っていたのだけど、アート作品はもちろん、インテリアから生活用品まで多面的な展示でなかなか面白かった。こちらにもウォーホルの大きな作品が数点。ウォーホル三昧だった。

 

夕方からは、日本人の友達ふたりが家に遊びに来てくれた。喋り、晩ごはんをつくって食べ、喋り、ケーキを食べてまた喋る。楽しくてすっかり時間を忘れ、気がついたときには午前2時になっていて驚いた。

 

幸せな誕生日でした。

 

 

ただその日を通過するだけの話で別にどうってことないと思っていたけれど、実際に30歳になってみると案外気持ちの変化があった。20代の崖っぷちにいたところを救われたような気がなんとなくするし、べつに過去にさよならするわけじゃあないけれど、これまでの10年を「20代」というひとかたまりのものにできるのが嬉しい。10年という長いものさしを横に置いて自分のことを振り返る作業は、ほろ苦いと言えばそうだったけれど(幼かった自分のことを思い返すときはいつだってそうだ)、なにより清々しかった。それなりの覚悟を持って、それなりのものを追いかけて、それなりのことをやった10年だった、と思う。それだけで充分だといまは思える。

 

ロンドン行きを決めたのは27歳のとき。いまさら言うことでもないけれど、考えて考えて考え抜いて出した結論だった。いくつか手に入れた選択肢の中から、結局、いちばん厳しいものを選ぶことにした。その日のことを忘れたことはないし、これから先もぜったい忘れない(だって、その後何度も何度もあの日の自分を呪ったのだから)。夢という言葉が好きじゃないわたしだけれど、やっぱり夢だったのだと思う。ずっと抱いていた、北ヨーロッパのあれこれについてしっかりアカデミックな勉強をしたいという思いと、世界で評価されている大学でネイティブの学生と対等に勉強がしてみたいという(ややミーハーな)思いを、同時に叶えた。それからの2年は英語力すらも中途半端だったわたしにとって挫折に次ぐ挫折の日々だったけれど、それを通り抜ける前の自分はいまでは想像もできない。ルンドでの生活も合わせた20代の最後3年の濃度は、その前の7年をうっかり塗りつぶしてしまうくらいのものだった。

 

この年齢になっても勉強していることへの後ろめたい気持ちはずっと変わらないしこれからも消えないだろうけれど、遠く霞んでいた目標に手が届くようになった手応えを、いまはとにかく大切にしたいと思っている。わかりやすく花が咲かなくてもちゃんと根が張るように、なるだけ水をやってきた。わたしのひとつの柱になっている語学は、終わりのないマラソンのようでときどき底なし沼にも感じるけれど、こういうときわたしを救ってくれる。費やしてきた果てしない時間を圧縮して、目の前に差し出してくれる。

 

もしほかの道を選んでいたらとはもう考えない。30代最初の日々のこの思いを、10年間忘れずにいようと思う。

Comments are closed.