09/08/2013

by lumi on 08/10/2013

 

7月1日、月曜日。

 

7時間半のフライト、5時間の時差。相変わらずのヒースローから、ニューアーク国際空港へ。

 

空港はあまり感じがよくない。ATMは壊れているし、それで話しかけた職員の対応は氷のように冷たい。慣れないアメリカ英語なので、なんとなくこちらの焦点もあわない。しかも、外は雨だ。

 

とにかくニューヨークへ向かおうとバスのチケットを買い、停留所で待つ。けれど30分待っても、それなりに本数があるはずのバスが来ない。1時間が経ってようやく乗れるバスが来たときには、待っていた人たちの怒りはすでに頂点。荷物のことでさっそく運転手と口論をはじめた。激しい怒鳴り合いに発展していくのを横目に、バスに乗り込む。ああ、この国で穏やかに一週間過ごせるんだろうか。

 

1時間ほど走って、バスはニューヨーク市街に入った。マンハッタンは、余すところなく都会だ。ずっと、わたしの対極にあると思ってきた町。窓のガラスにくっついた雨粒のなかで、ネオンサインが揺れる。10年遅れてはまっているマルーン5のアルバムが、イヤホンから流れている。

 

 

 

小雨のなか、予約していた宿へ。お世辞にもいい部屋とは言えない。ベッドも壁も絨毯もぼろぼろだし、匂いがこもっているのに窓は開かないし、隣の共同シャワーからは怪しい音がする。それでもひとり部屋なのだから、昨日までより贅沢だ。なによりここはマンハッタンのど真ん中。どこへでも歩いていける。

 

本当は今日のうちに一箇所くらいどこかへ行きたかったのだけど、バスのトラブルもあって思っていたより遅い時間になってしまった。とりあえず荷物を置いて、iPhoneのSIMを探しに出る。T-Mobileの店員さんはとても親切で、一週間使うのにいちばん安いプリペイドのプランを一緒に選んでくれた。

 

見上げたエンパイアステートビルは、うすい雨雲に霞んでいた。大きな交差点の前で歩道の端に寄って、行き交う人たちをただ眺める。自分だけが喧噪から切り離されているような、たよりない感覚。それでも、不安よりも期待が膨らんでいく。目の前に広がる大都会。見たいものは無限にあるし、それを超える出会いもきっとある。なんてったってこれから一週間、どこへ行ってもいいのだ。

 

宿に戻って、古ぼけたベッドのうえで地図を広げる。さあ、明日はどうしようか。

 

 

 

7月2日、火曜日。

 

朝5時、悪夢で目が覚める。窓が開けられない部屋の空気は淀んでいる。うなされたのは、きっとひさしぶりの暑さと湿気のせいだ。凄まじい音のするエアコン(の、ようなもの)をドライモードにセットして、もういちど眠る。ロンドン時間ではもう10時だからたいして眠くないけれど、ここの時間に体を慣らさないといけない。

 

シャワーを浴び、メールチェック、適当にメイクをして、近所で評判だというお店で朝食をとる。ブルーベリーワッフル。生地にブルーベリーが入っているワッフルに、オレンジバターと、フルーツが添えてある。温かいうちにバターをのせ、メープルシロップをかけて食べる。美味しい。結局4枚のワッフルをぺろりと平らげてしまった。それにしても、平日の10時に朝食のために列をつくるなんて、イギリスでは(もちろん、スウェーデンでも)考えられない。

 

 

 

ニューヨークに来たのは、美術館が見たかったからだった。どこから行くか悩んだけれど、まずはやっぱりMoMAへ。常設展は印象派からポップアート、現代アート、印刷物、プロダクトまで幅広い。それほど広くない館内を、たっぷり4時間かけて2周する。マティス、ピカソ、ゴッホ。クレーも予想外にひと部屋ぶんの作品があって嬉しい。数枚あったカンディンスキーがすばらしくて、もっと作品を見たくなる。

 

写真も数は多くないけれど、見応えがあった。ヴォルフガング・ティルマンス、ロバート・フランク、スティーブン・ショア。ビル・ブラントが撮った30年代や第二次大戦中の写真を眺めながら、想像の余地はあるにせよ、その時代の空気が残るのが写真の美点だなとつくづく思った。当たり前のことだけれど、その場所でその瞬間に実体を伴っていたものが写し取られているから、個々人の表現という枠を超えて写真は貴重なのだ、と思う。

 

企画展はコルビュジェ。並外れた感覚に心動かされる。デッサンを中心に模型、写真から油絵まで、相当な点数。アーティストとしての面も丁寧に見せている展示だと思った。それにしても、目の敵にした(語弊があるかもしれない、コルビュジェとニューヨークに関するあれこれを読んでいると、ある種の執着か憧れなのかもしれないとも思う)街でこういう展示が後年開かれるなんて、本人が知ったらなんて言っただろう。図録がほしかったけれど、あまりにも高かったし、なにより重かったので断念。フランク・ロイド・ライトの栞を母と自分へのお土産に、MoMAを後にする。

 

 

 

インターナショナル・センター・オブ・フォトグラフィーまで歩き、そこでも展示を見る。写真を素材と捉えているような作品も多くて、それもまた面白い。多彩。タイの洪水の写真がとても印象に残った。腰まで水に浸かって、まっすぐにカメラを見る親子。ドキュメンタリーと表現のあいだ。

 

タイムズ・スクエアへ戻ってコーヒーを飲み(妹に薦めてもらった、ブルー・ボトル・コーヒーというお店、たしかに美味しかった)、17番街まで一気に下る。何軒か気になったお店をめぐり、軽く夕食をとって、宿に戻った。これで、17番街とMoMAのある53番街を徒歩で往復したことになる。なかなかの距離。

 

必要に迫られて夜更かし。スウェーデン語に苦しめられながら、眠る。

 

 

 

7月3日、水曜日。

 

また朝5時、暑くて目が覚める。たいして眠っていない。もういちど横になり、7時までうつらうつら。

 

ペン・ステーションの前で行き倒れそうになりながらコーヒーショップを探し、コーヒーとスコーンを手に高速列車、アムトラックに乗り込んだ。8時30分発、ボストン行き。混んでいて、なかなか席が見つからない。乗っているのはキャリーケースを持っている人ばかり。そういえば明日は独立記念日なのだ。ホリデー。すっかり忘れていた。

 

アムトラックは速い。あっという間に摩天楼は遠ざかり、気がついたらもうコネチカット州。ニューヨーク州は狭いのだな、とあらためて思う。車内は快適で、wi-fiも使える。2時間半ほどで、ミスティックに到着。車掌に声をかけ(ドアが3箇所しか開かないので、降りるときには声をかけるよう言われたのだった)、電車を降りる。わたし以外にも何人かの人が降りた。一様に、大きな荷物を引きずって。

 

 

 

ミスティックは小さな町だ。駅から歩いて15分ほど、跳ね橋を渡って目抜き通りへ。こじんまりとしたブティックには、船や碇の柄のものが並んでいる。ちょうどお昼前だったので、ここでは唯一のカフェ(だろうと思う、ピザ屋やレストランやバーはあったけれど)に入り、クラムチャウダーを注文。それが、驚くくらいに美味しい。貝が大きくて、しっかりとした味がする。さすが海辺の町だ。

 

なんだか懐かしい、というよりもっとはっきりと、これに似た街並みを以前に見たことがある、と思う。アメリカに来るのは初めてなのにどうしてだろうとしばらく悶々としていたのだけど、そうだ、ディズニーシー。日本での甘い記憶が、ふわりと降りてくる。

 

とにかく日があたるところは暑い。歩いていると、汗の粒がつぎつぎ首筋をつたう。地図は、歩きはじめて数分で風で飛ばされてしまった。周りを見てみると、デニムなんて履いているのはわたしだけ。ああ、ちゃんと天気予報を調べてくるんだった。ふらふらになりながらも、古くから建っている家がたしかこの先にあったはずだよな、と、地図の残像を頼りに川沿いの道路をえんえんと歩く。バスもないし、この道をまた歩いて戻るしかないのだとわかっていても進んでしまう。わたしは本当にこうだなあ、と可笑しくなる。なんで懲りないんだ、本当に、いつもこうだよなあ。

 

 

 

水族館と、古い街を再現した野外博物館。それから古い街を再現したショッピングセンター。ミスティックは、そういう町だった。観光で塗り固められている。だけど、海の香りのする穏やかな川は、きっと昔と変わらない。

 

強い日差し、汗を乾かす風、悠々と進む船。アイスクリームを食べながら、跳ね橋が戻るのをのんびり待つ人たち。べたべたに甘いシェイク。白い教会に白い家。ドアにかけられたリースのような飾りと、アメリカの国旗。漂う港町の風情を吸い込んで、大都会へ戻る電車に乗り込んだ。

 

 

 

7月4日、木曜日。インディペンデンス・デイ。

 

身支度をすませて、宿の近くのスタバへ。朝10時。前日の疲れが、まだ身体の芯に残っている。レモンのパウンドケーキとラテを注文。名前は?と訊かれる。ヨーロッパのいくつかの国と同じように、アメリカのスタバでも客を名前で呼ぶのだ。呼ばれて返事をすると、have a nice day!という言葉といっしょに、カウンターの向こうからラテが出てくる。

 

ニューヨークへ行くならメトロポリタン美術館のための日をつくろう、と思っていた。なにせ東京ドーム4つ分の展示面積(!!!)なのだ、半日はかかるに決まってるし、そもそもいちばん行きたかった場所だからじっくり時間をかけたい。どうせなら、独立記念日に行こう。美術館なら、祝日でもきっとやってるだろう。そうして、今日がその日になった。

 

結局、ほんとうに半日をわたしはメトロポリタンで過ごすことになった(それでも回りきれなかった部屋があった、全部の部屋をあのペースで見ていたらきっといちにちじゃ終わらない)。一枚一枚の絵を、ひとつひとつの部屋を、ていねいに見る。最初は遠くから、つぎは画家と同じ距離感で、最後にもういちど、ちょっと離れて。使い古されてすり切れた言葉かもしれないけれど、本当に、それぞれに新鮮な感動がある。わたしが持っている知識なんて微々たるものだし、なによりわたしは絵が描けない。シロウト以外のなんでもないけれど、そうやって絵を見るのはたのしい。

 

 

 

ここで、わたしは小さな頃から知っているはずのセザンヌに恋をした。これまでカード・プレイヤーを描いた作品群以外は特別な思いで見たことはなかったのに、急に、その独特の色づかいが意外なものに感じられた。ここに緑なの、薄紫なの、といちいち面白くて離れられなくて、セザンヌの部屋を飽きずにぐるぐる回っていた。それから、気になるアメリカ人画家も沢山できた。たとえば、ジョセフ・ステラやジェイコブ・ローレンス。新しい楽しみがまた増えた。

 

メトロポリタン美術館は、稀有な熱量をもつ場所だ、と思う。見たい(かもしれない)ものが、圧倒的な数で、圧倒的な質で、そこにある。信じられない幅の広さ、懐の深さで。それから、圧倒的な自由。だだっぴろい館内じゅうすばらしいもので埋め尽くされていて、かつ、順路がまったく決まっていない。混んでいるっていっても人が分散するから大したことないし(もっと混む日もあるんだろうけど)、本当にどんな風に見て回ったっていい。

 

ここでのはじめの一歩は、随分前に遠い国の小さな町で、その日の宿も帰りのチケットもなくどこまでも身軽に一歩を踏み出したときの、あの感覚に近かった。世界は全方位に続いていて、なんだって選べるぞっていう、おおげさな気持ち。そういえば美術館って好きな人間にとっては世界を凝縮したような場所だよなあ、と、思ったりした。

 

 

 

独立記念日をねらってニューヨークへ来たわけじゃないけれど、せっかくだから花火くらいは見てみようかと思い立つ。調べてみると、宿から2、30分歩いていけば花火の見える場所に出られそうだ。空がだいぶ暗くなった頃を見計らって、マンハッタンを西へと歩き出した。

 

34番街は、ペン・ステーションを過ぎたあたりから歩行者天国になっていた。花火はハドソン川であがるので、さらに西へと歩くのだけれど、人は目に見えて増えていく。結局川のだいぶ手前で、それ以上前に進めなくなってしまった。

 

建物と看板と電柱、肩車された子供たちとアメリカ国旗の隙間から、つぎつぎ打ち上げられる花火が見える。大歓声。色とりどりの光と煙に目を細める。花火は、一昨年にテムズ川で見て以来だ。クラクションに我に返ると、目の前の歩行者天国になっていない南北の通りを、タクシーやバスがゆっくり人をかきわけて走っていく。まわりの不満げな声のなか、バスの窓越しに上がりつづける花火。なんだか笑ってしまう。

 

熱帯夜。あまりに暑いので、帰り道、サーティワンに寄る。並んで買ったチョコミントのアイスクリームは、日本で食べるのとまったく同じ味がした。緑色のアイスをのせたワッフルコーンを齧りながら、はしゃぐ人たちを眺める。エンパイアステートビルを見上げて、そうか、ニューヨークなんだなあ、とまた不思議な気持ちになった。

Comments are closed.