03/11/2013

by lumi on 11/4/2013

 

バスの二階の、いちばん前の席が好きだ。普段はわりに混んでいる路線に短区間乗ることが多いからあまりここに座ることはないのだけれど、ホワイト・ハート・レーンのあるトッテナムへ行くときとグリニッジへ遊びに行くときは、始発に近い停留所から長い時間バスに乗るのでかならずここを陣取る。見慣れた風景から、郊外へ。コーヒーを片手に、ヘッドホンで音楽を聴きながら、思いきり他人の顔をして町を眺める。

 

それにしても、今年の秋はほんとうに天気がよくない。暖かいうちは公園で本を読んだりしようと思ってピクニックラグを新調したのに、結局ぜんぜん使えないまま11月になってしまった。

 

17時、こんなに日が落ちるのって早かったかしら、と不思議な気持ちで窓から薄暗い空を見上げる。そうだ、先週の日曜にサマータイムが終わったんだった、と思い出す。今年は9月が寒かったこともあってそのころから気温があまり変わらないので感覚が鈍っていたけれど、いつまでもこの季節が続くはずもない。もうすぐ、鬱々としたロンドンの長い冬がやってくる。ここで過ごす、最後の冬。

 

 

 

先週末は、高校時代からの仲よしの友達がお仕事を兼ねてロンドンに来ていた。特別なことはしなかったけれど(本当はどこか新しいところへ連れていければよかったなーと申し訳ない気持ちもある)、うちに来てもらったりホテルにお邪魔したり、あちこちでお茶したり、公園を散歩したり、デパートを一緒にうろうろしたりしてのんびりと過ごした。わたしの一時帰国のときにはかならず会っているのだけれどなかなか一日中遊んだりはできないので、他愛ない話を好きなだけできるのがとにかく、嬉しかった。

 

お土産にいただいたのは、彼女の会社のお菓子だった。八ツ橋。店頭に並んでいるものは無地なのに、これには一枚一枚ロンドンらしい模様が入っている。わたしのためだけにデザインから作ってきてくれたと知って、驚いた。嬉しいやらかわいいやらで、もったいなくて、なかなか食べられない。

 

誰かと親しくするのが下手すぎて自分であきれてしまうわたしだけれど、尊敬していると一点の曇りもなく言えるほんとうに大好きな人たちがずっと変わらず近くにいてくれる、それだけで自信が持てることもある。彼女しかり、大学時代からの友人しかり。あらためてしみじみ書くのも恥ずかしいんだけれど、幸せだなあ、と思っている。

 

 

リーディングウィーク前最後のスウェーデン語の授業は、EUで翻訳の仕事をしている先生を招いてのディスカッションだった。わたし達学生がやった訳を見てもらって、良い表現を皆でさがす。訳すのは実際のプレスリリースや、カンファレンスの報告書。緊張したけれども、勉強になった。なにより頭の引き出しをいっぺんに開けたような気分になって、わくわくした。言語って、なんて奥行きのあるものなんだろう。

 

わたしはずっと日本語は繊細な言語だと思っていたけれど(そしてきっと実際繊細だけれど)、そう思えるのは日本語がわたしの母語で、そこにしっかりと感性がくっついているからだ。英語もスウェーデン語もフィンランド語もとても繊細で、なにも日本語だけが特別なわけじゃない。最近になってようやく、なにかを読んでいるときだけだけれど、そのことを肌で感じられるようになった。

 

だからディスカッションは楽しかったけれど、自分の力不足に苛立ちも感じた。できることがすこしずつ増えるにつれて、たりない、という思いが膨らむ。わたしにはまだ、毛細血管が備わっていないのだ。この無力感からまた始めないといけない、と、震えるように思った水曜日だった。

 

 

 

 

わたしの部屋はベッドがロフトになっていて、デスクがその下にある。ちょっと狭いうえに電気をつけないと暗いしつけたらつけたで明るすぎるのだけれど、気に入っていてけっこうずっとここにいる。

 

狭いところが好きなのは昔からだ。小学生の頃は、暗い押し入れのなかで、積み上げられた布団と衣類のケースと天井のあいだに挟まるようにしてずいぶん長い時間を過ごしていた。ほとんど身動きもとれないのに、本をこっそり持ち込んで懐中電灯で読んでいた。

 

それにしても、机に斜めになって座るくせ、いいかげんやめないとなーとは思ってるんだけれど。

 

 

 

BBCのSound Of 2013で知ったアイルランドのKodaline、普段あまりこういう感じの曲は聴かないんだけれど、なんでかとても好きだったりする。ちょっと泣きたい夜に。

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