09/08/2014

by lumi on 08/9/2014

 

わたしの新しいユリイカ棚。

 

 

 

 

両親のユリイカ棚(の、ごくごく一部)。主に70年代後半のものが並ぶ。

 

35年という時間がどういうものなのか、今のわたしにはまだわからない。

 

 

昨夏、この家は時間が止まっている、と母が言った。そんなことない、わたしはここで育って、それでいちおう大人になったじゃないのと口にしたかったけれど飲み込んだ。彼女がそう思うのなら、きっとそれがほんとうのことだ。

 

先月実家に帰ってきてすこし時間ができて、巨大な本棚を前にしたとき、ここだけでも時間を動かしたいと思った。それはたぶん両親のためではなくて、本のためでもなくて、わたしの意地だ。この本の集積は、これを見て育ったことは、何にもかえられない価値がある、と口に出すことで風が通ればいいと思った。これはわたしの本棚ではないけれど(とても大事なことだ、これはわたしのものじゃない)、価値を認めることを重ねて新しい時間がここに生まれればいい、とか、自己満足の極みなんだけれど、そんなことを思ったのだった。

 

 

がんじがらめになると、わたしにはわたしの時間があるということも忘れてしまいがちだ。ばらばらにならないよう自分自身を繋いでおくことが、どれほど難しいか。

 

今はただこの場所の空気に溶けるように、日々を過ごしていたい。美しいものなら、そこらじゅうにあるのだから。

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