03/10/2015

by lumi on 10/3/2015

 

 

最後にこの日記を更新してから、一年が経った。振り返ると、本当に一瞬、あっという間だ。

 

そのあいだに、わたしは卒論とプロジェクト、試験をなんとか乗り切り、無事に大学を卒業した。そして、親しんだロンドンを離れ、新しい場所へやってきた。スウェーデン・ストックホルムから電車で三時間。ダーラナ地方にある工芸学校で、今は暮らしている。

 

一年間。あっという間だったと言ったけれど、一年前の自分がどんなだったか、今はもう曖昧になっている。卒論を書き上げる前の自分。ここへ来る前の自分。この一年で知ったことを知る前の自分。それは、もちろんわたしなのだけど、それでいてほとんど別の人間みたいだ。

 

 

昨日、大学から卒業証書が届いたと、日本にいる母から連絡があった。母が送ってくれた写真の証書は、シンプルな紙切れ一枚、笑ってしまうくらいにふつうだった。名前、コースと学位、クラスが書かれただけの、大学のロゴが入った紙。飾り気のないそれは、とても、わたしが通っていた大学らしかった。

 

わたしはこれが欲しくて、これまでやってきたんだろうか。たぶん違う、だけどやっぱり、それはひとつの証明なのだと思う。随分長いあいだ、来る日も来る日も課題をやって、授業に出ては打ちのめされて、ときどきは出来ることが増えたとうれしくなって、その繰り返しだった。そういう、勉強することが生き甲斐だった日々の、小さな結晶。わたしがその日々で得たほんとうに大切なものはそこにはないけれど、それでも、その紙もわたしが得たもののひとつだ。

 

自分が卒業した大学とロンドンの街、それから何より、自分のやってきたことを愛している。誰かにとってはなんでもないことかもしれないけれど、わたしにはこれが宝で、そしてこれは一生わたしのものなのだと胸を張る。時間をかけさせてもらったことを感謝しているし、どれでもいい、わたしが得たものが、支えてくれた人たちにとっても喜ばしいものであることをひっそり願っている。

 

足掛け五年。泣いて笑って、特別な時間を過ごしたロンドンは、わたしのホームのひとつだ。これから何年経っても。

 

 

さて、わたしの現在の生活はというと、もうひとつの日記やツイッターの通り。学校の敷地内とは言え森のなかにある小屋に住んでいて、最寄りのスーパーまでは徒歩45分、坂道を下りなければいけない(つまり、帰りは上りだ)。毎日朝8時に朝食、8時40分から授業、12時から昼食、13時から16時50分までまた授業。17時から夕食をとって一日が終わるかと思いきや、課題が残っていたら21時22時まで教室で作業をしたりする。早く作業の終わった日は、趣味で何かを作ったり、勉強したりして、日記を書き、眠る。毎日が基本的にはこれの繰り返しだ。

 

この学校を選んだのは、これまでの勉強の自分なりの延長をここで見つけたかったからで、正直に言ってしまうとわたしは百パーセント洋裁がやりたかったわけではない(しかも織りが第一希望で、洋裁は第二希望だった)。そして実際、わたしは必要としていたものをここでちゃんと見つけられたと思っている。計算外だったのは、洋裁が思いのほか楽しいことだ。初心者もいいところなので失敗してばかりだし、そもそもこれまでやってきたことと毛色が違いすぎて戸惑いもあるけれど、もう、めちゃくちゃ楽しい。新しいことをやるってこんなに面白いものなのか、としみじみ感動してしまう。勉強を始めたばかりの言語を使って生活する感覚と、似ているかもしれない。日々、取り巻くものに名前がついていって、わかることが増えていって、どんどん焦点が合っていくような、あの感じ。

 

わたしはきっと、アーティストにはなれない。だけど、ここで学びたいことは無限にある。これまで得てきたものに丁寧に織り込んでいきたいものがここにはあって、だから時間が拘束されても、体力的に大変でも、やっていける。

 

まだまだ自分のスウェーデン語の力にはがっかりするけれど、それもこれから。来て一ヶ月で、すでに大分違うのだ。バランスの悪いやりかたではあるけれど、環境で追い込まれるというのはとてもいい。きっと今年が終わるころには見違えるようになっているに違いない、と、期待を込めて。

 

 

この日記を書いていない間、ほとんど毎日、メモのような日記を書きつづけた。嘘のない、純度の高いわたしは、積み重ねるとフィクションのようだ。創作が苦手なわたしも、こうして続けていけば、ひとつの物語を書けるだろうか。

 

何度でも同じ作業を繰り返して、そして、前へ。

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