13/09/2012

by lumi on 09/13/2012

 

授業帰り、19時半の空。これでも随分、日がみじかくなった。

 

 

8月末に受けた、テストの結果が返ってきた。“Fortsättningskurs i svenska”という、スウェーデン語の学習経験がある交換留学生向け短期集中コースの、最終試験。43.5 / 50という得点だったので、これからつく成績もきっと良いはず。この結果は今スウェーデン語を習っている先生も知ることになるだろうし、「会話は苦手だけど紙のうえではなかなかやるんです!」と公言して今のクラスに入った以上、良い評価を取らないとと思っていたので、心底ほっとした。

 

それにしても、わたしは本当に話すのが苦手。スウェーデン語とフィンランド語はもちろん英語でも、母国語である日本語でもたまに、上手く言葉を継げない。話すときには極端に語彙が減り文法がばらばらになり場合によっては押し黙ってしまうことすらある反面、書くのはわりに得意なので、まわりの学生に横から覗かれては別人のようだと驚かれたりしている(地味にひどい)。この2年、改善しようとさんざんもがいているのだけれど、正直なところあまり上手くいっていない。なので最近は、言語能力にもいろいろある、とむりやり割り切ることにしている。着実に積み上げてゆけばという条件つきだけど、話す能力だって、そのうちついてくるさ。

 

 

4つの言語をある程度均等に使って生活していると、こんがらがるというより(わたしの場合、スウェーデン語とフィンランド語に関しては混ざることもあるけど、英語・日本語はそれぞれ独立している)、脳のある言語を司る部分だけがぱたっと止まってしまうことがある。ストライキ。ほんとうに、やってみないとわからないものだなと思う。語学はたのしいけれど、脳と外国語と上手く付き合うことは、想像以上にむずかしい。

 

英語を中心に据えた生活をして1年が経ったころ、突然、自分の日本語の核部分が小さくなってしまったのを感じた。普段よく使う単語が減り、思うような文章が書けなくなった。言葉はわたしにとって、厚く複雑に絡まり合って自分を守ってくれていた植物のようなものだったとそのとき初めて気づいたのだった。それが枯れていってしまうかもしれないという恐怖はあまりに大きくほとんど絶望のようで、英語が上達しないんじゃないかという懸念を圧倒してしまい、わたしは日本語での読書の習慣を取り戻すことに決めた。

 

不器用には不器用なりの、バランスの取りかたがあるのです。

 

 

 

最近、革のメッセンジャーバッグを買いました。相当古いものだと思うけれど、まだきれいで使うにももちろん問題なく、いい感じにくったりしている。学校へ行くにはちょっと小さいけど、休日用の鞄があるのもわるくない、かなあ。

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