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29/09/2012

09/29/2012

 

また雨に逆戻り。ここの秋は、いまのところロンドンに似ている。

 

 

最近にはめずらしく青空の見えた昨日は、ルイジアナ近代美術館へ行ってきた。デンマーク・コペンハーゲンの35kmほど北、海沿いにある、美しい美術館。

 

コペンハーゲン経由で電車でも行けるのだけど、それだといつもと同じ風景でつまらないので、今回は船で行くことに。まずルンドからヘルシンボリまで行き、船でエーレスンド海峡を渡り、シェイクスピア『ハムレット』の舞台ヘルシンオア(エルシノーア)へ。そこで電車に乗り換え、南へ2駅。電車もそれぞれそんなに長くないし船も20分ほどだし、片道1時間半ほどであっさりと着いてしまったけれど、ちょっとロマンチックな小旅行だった。

 

船からクロンボー城を眺めながらハムレットじゃなく、イサク・ディーネセンの短編『エルシノーアの一夜』をぼんやりと思い出していた。未婚の老姉妹の前に、昔行方をくらませた弟の亡霊が現れて、海賊になっていたって言うの。

 

 

 

ルイジアナで今やっているのは、芸術家たちのセルフポートレートを集めた展示と“NEW NORDIC – Architecture & Identity”という題の建築展。どちらも見応えのある展示だった。セルフポートレートでは、ピカソ、マティス、ボナール、ムンク、シャガール、ポスターにもなっているシーレ、、、と好きな画家たちの作品を堪能し、メイプルソープの数枚の写真に完全に魂をもっていかれた。建築展のほうも、ちょうど今年の春にスヴェレ・フェーンの建築とNordic landscapeの関係についてエッセイとプレゼンをやったところでそれなりに下地があったので、新しい材料を与えてもらって組み立て直せた感じがしてとても良かった(抽象的だけど)。迷った末、どっちも図録買っちゃったよ。建築展のほうは結構重さもあったからどうしようかなーと思ったんだけれど、展示以上に図録が素敵なんだもの!

 

 

 

ルイジアナは世界でいちばん美しい美術館とも言われてるってどこかで聞いたことがあるけど、本当にそうかも。土地の起伏を生かした広い庭にはアートが点在していて、こじんまりとした建物は緑に囲まれている。庭からは勿論、カフェや2階の休憩スペースからも海が見える。

 

 

 

回廊のドアから外に出て階段を下りていったところには、小さなLake Gardenも。べつに誰でも行けるんだけれどわざわざ行く人はそれほど多くなく、子どもの頃飽きずに通った自分だけの秘密の場所を思い出してたのしい。

 

 

 

もしかして、むかしを思い出すのは、京都にある池にちょっと雰囲気が似ているからかな。

 

 

 

遅いお昼ごはんは、カフェのビュッフェを試してみることに。好きなものを好きなだけ取り、周囲のデンマーク語に耳を傾け海を眺めながらのんびりと食べた。

 

そうそう、Louisianaって地名じゃないしなんでこの名前なんだろってずっと思ってたんだけど、どうやらこの建物(もともと富豪の邸宅で、美術館にするとき増改築したらしい)の最初のオーナーAlexander Brunの妻の名前から取ったらしいです。3度結婚して、どの妻の名前もLouiseだったんだって。そんなネタみたいなことあっていいのか!!笑

 

 

建築展で大きなスクリーンに映し出される空撮された北欧の風景を眺めていたら、しみじみと思うところがあった。自分の人生の結構な割合をこの遠い国たちに注ぎこんでいる理由の一部が、その風景にある気がした。

 

そもそもわたしはまず、単に「北」が好きなのだ。森と海と湖、夏の澄んだ光、太陽の昇らない冬、きびしい寒さ、蜃気楼のように現れる町と、そこに暮らす人たち。イメージをふわふわと浮かせるだけで込み上げてくるものがある。中学生の頃から自分の中に流れつづける、理屈以前の、説明のつかない強烈な憧れ。

 

カレル・チャペックは北欧を旅する理由のひとつを説明するのに「巡礼」という言葉を使ったけれど、わたしにもそれに近い思いがあって、学ぶことでその一部を昇華させているのかもしれないな。北への、長い長い巡礼。

 

そんなことを考えた、ルイジアナでの穏やかな休日でした。とさ。

 

“それから、北への三つ目の旅、北への巡礼がある。それは、まさしく北へ向かうこと以外の何をも目指さない。なぜなら、そこには白樺の木と森があり、草が生い茂り、祝福された豊饒の海が輝いているからだ。なぜなら、そこには白銀の冷気と露を含む霧と、他のいずこよりも、しなやかできびしい美しさがあるからだ。そしてなぜなら、われわれ自身もすでに北の地に属し、冷たく心地よい北の一片を、精神の深みにわが物として帯びており、それは身を焼くような炎熱にも溶けることがないからだ。”

—カレル・チャペック著(飯島周編訳)『北欧の旅』 15ページより

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27/09/2012

09/27/2012

 

実家でスノードームを集めはじめたのは、たまたま同時期に妹がパリで、わたしがドゥブロヴニクでそれぞれ買って帰ったのがきっかけだった。ダイニングテーブルになんとなく並んでいたのを母がすっかり気に入り、見つけたらまた買ってきて、と言われたのだった。それからというもの、どの国のどの町へ行ってもかならず探すことにしている。リスボンの夜遅くまで開いてる寂れたお土産物屋さんで、ヨーロッパ最北の岬の立派なホールで、ウェールズの小さな町スランドュドゥノのケーブルカーの終点で。ひとつひとつ、買ったそのときのことを鮮やかに思い出せる。

 

いま実家には、妹とわたしが集めてきた30個以上ものスノードームがある。ずらりと並んでいるところはなかなか壮観。そのうち引っ越したら、専用の棚でも作ろうかと話している。母は新入りがくるたび、とても嬉しそうにしている。

 

今回の旅行でも、ハンブルクとリューベックでひとつずつ買ってきた。年末に実家に持っていくまで、うちで待機。デスクの上がちょっと華やかになった。

 

 

紆余曲折を経て、やっと、秋学期の授業が決まった。イギリスの大学から承認もおりたので、あとは来週水曜日の授業開始を待つばかり。本当に今は決まってほっとしてる、けど、問題はこれから。スウェーデン語でのレクチャーとディスカッションとか想像するだけで震えるけど震えてばかりもいられないわけで、とにかく全力を尽くします。。あぁ。

 

とりあえず、振り落とされないように必死でつかまるのだ!!!(せいいっぱい前向き)

 

 

 

Duke JordanのFlight to Denmarkを最近よく聴いている。1973年の冬に、コペンハーゲンで録音されたもの。あまりにも有名なアルバムは、あまりにも有名なこの曲、No Problemではじまる。Duke Jordanのピアノの音は澄んでいて、どの曲も無駄なく美しい。

 

音楽からすこしずつ冬。はやく、雪のコペンハーゲンを歩きたいな。

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23/09/2012

09/23/2012

 

寒い北ドイツでの、束の間の現実逃避。

 

 

2日目の朝。週前半の疲れと前日の睡眠不足で、しっかり眠ったのにまだ体が重く、起きあがれない。10時を過ぎてようやくベッドから這い出し、身支度をすませて中央駅へ向かった。50人待ちのカウンターに怯みつつ、ブレーメンまでの安いチケットを購入。ワッフルとコーヒーを買って、慌てて電車に乗り込み、流れる景色をながめながら食べる。

 

 

 

ブレーメンの中心部は、想像していたクラシックなドイツそのままだった。華やかな建物も比較的質素な建物も、どことなく硬派で、重さのある感じ。そのなかで市庁舎はやっぱり、圧倒的な存在感があった。建てられたのは15世紀のあたまごろ(ただし、ルネッサンス様式のファサードは17世紀ごろ)らしい。目の前をカラフルな車体のトラムが走るたびあまりのちぐはぐさに混乱し、建物とトラムどちらかが幽霊かなにかのような気がして胸がざわざわした。

 

 

 

ブレーメンといえば、の音楽隊。でもそういえば彼らは最終的に、森のなかの家で音楽を奏でながら仲よく暮らすから、ブレーメンへは行かないのよね。笑。

 

 

 

ゆるゆる散策して、お茶を飲み、帰路につきました。いかにもブレーメンな駅の壁画がすてきだった。

 

 

そして最終日の昨日はハンブルクからデンマーク方面へ向かう途中にある古都、リューベックへ。ハンザ同盟の盟主として繁栄した町、そして作家トーマス・マンが生まれた町。

 

 

 

町の中心部らしきところを歩いてみてもいまひとつよくわからないというか、ぴんとこないので、聖ペトリ教会の塔に上ってみるなど。見下ろした町は驚くほどに美しかった。迷ったら、高いところへ上るにかぎる。

 

 

 

マリエン教会はブリック・ゴシックの尖塔を持つ、巨大な教会。もともとは13世紀から14世紀にかけての建築だそうだけれど、1941年の空襲で大部分が破壊されてしまい、今の建物は戦後復元されたものらしい。それを聞いて、なんとなく納得した。独特の包みこむような優しさは、復元した人たちが願いを込めたからなのかもしれないと本当に思う。温かな光に映える暖色の褪せた装飾は、特別な信仰がないわたしのことも、平等に癒してくれた。

 

 

 

柱の装飾は、一本一本違う。側廊をぐるりと歩き、立ち止まっては見惚れた。

 

そうそう、この教会のパイプオルガンは、なんと8512本(!!!)のパイプからなっているのだそうです。世界最大級だって。青年時代のバッハはこのオルガンの音色とオルガニストだったブクステフーデの演奏に感銘を受け、休暇を延ばして通いつめたのだとか。ほぉぉ。聴きたかった、、、!

 

 

帰りはまた、途中でフェリーに乗る電車。リューベックからコペンハーゲンまでは4時間。いつも通りコーヒーを買って乗り込み、雨の雫を横目に、楽しみにとっておいた本のつづきを読む。

 

 

この本は、実家の近くの本屋さんで買った。外国文学が平積みにされているテーブルで、少女趣味な(失礼)カバーは異彩を放っていた。必然的に目が止まり、すてきなタイトルだなと思った。ゲイルズバーグの春を愛す。原題のI Love Galesburg in the Springtimeより、こっちの方が断然すてきだ。

 

ファンタジー短編集で、どの話も好きだったけれど、なかでも「大胆不敵な気球乗り」が気に入った。主人公のチャーリイが妻と娘が留守の夜、手づくりの気球でサンフランシスコの夜空を散歩する。人々の生活のすこしだけ上を、ほとんど気づかれずに泳いでゆく。二度目は近所の奥さんとティーンエイジャーのように冒険する。ただそれだけなんだけれど。でも、そのあとチャーリイが満足して、三度目はないのが、とてもいい。

 

短い旅の終わりに、読みたかったものを読んだ気がした。わたしが冒険に満足する日も、いつか来るのかしら。

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20/09/2012

09/20/2012

 

履修していた授業をスウェーデン語をのぞいて全部、キャンセルするはめになった。複雑すぎてひとことでは説明できないのだけど、要するに在籍しているイギリスの大学のガイドラインがすべて変わり、登録していた科目は単位として認められないと言われたのだった。そもそもうちの学部は再編されたところで(ばらばらだったEuropean Studiesの学科たちをひとつにまとめたばかり)、まだ事務がちゃんと機能していない。この交換留学も説明会から不手際だらけで、結局、こんなことになった。Learning Agreementだってちゃんとサインをもらって、7月には提出してたのに!!!

 

とにかく、あちこちの学部を訪問して、色んな人に会い、これから登録できる授業を探しまわった。スウェーデンの大学は先週末の時点で新学期が始まってもう丸2週間も経っていたし(ちなみに憎きイギリスの大学はまだ始まっていない)わたしは勿論スウェーデン語のネイティブスピーカーでもないから、入れてもらえるところはもうほとんどなかったけれど、それでも歴史学部でなんとか拾ってもらえた。問題はその授業が大きなコースのサブクラスなので、それがイギリスの大学側に認めてもらえるかということ。いま返事待ちなのだけど、だめだって言われたら、さてどうしよう。。

 

波瀾万丈すぎるスウェーデン生活4週目。ああ、どうか、これで落ち着きますように。

 

でも、実はそれより10月からスウェーデン語で歴史の授業を週3とか4のペースで受けて、しかも11月あたまと12月半ばにはそれぞれ5時間の筆記試験があるっていうほうが大問題なんだけどね!!! しかも、単位落としたらイギリスのほうでほぼ進級不可になるという鬼っぷり。授業入れてもらえただけいいんだけど、不安すぎて震えてる。ううう。

 

 

、、、さて、そんななか、うっかりドイツはハンブルクなどに居ります。

 

なんでこうなったかっていうと、2週間前に鉄道のチケットを取ってしまっていたからで、そもそもなんで木曜日にハンブルクまでのチケットを取ったかっていうと、もともと履修していた授業が休講で週末にかけて4連休になっていたからで。どうするか迷ったんだけど、じいっと待っていたってどうしようもないし、だめだったところで来週まで動けないだろうし、と思いきって予定通りに。

 

ハンブルクはハンザ同盟だった都市でいまでも経済の中心地、あとサッカーのチームあるよね、っていうくらいの知識しかなかったんだけど(貧弱)、来てみたら想像をはるかに超える都会で驚いた。ベルリンに次いで、ドイツ第2の都市なのね。フランクフルトやミュンヘンのほうが大きいと思ってたのでびっくり。

 

市内中心部はデパート、ショッピングモール、高級品やファストファッションの路面店だらけ。この町独特の色を見つけるのは、まだこれからかな。

 

そうそう、実はわたしドイツ初めてなんだけど、普段のスウェーデン語のクラスにあまりにドイツ人が多いので見慣れ聞き慣れちゃって、道行く人の顔立ちにもドイツ語にもまったく違和感がありません笑。もっと、、、もっと新鮮な気持ちになりたい、、、!

 

 

 

今日のハイライト。電車で爆睡して目が覚めたら、海の上にいて度肝抜かれた。デンマークからドイツまで、まさかの電車ごとフェリー。状況を飲み込むまでにずいぶんかかった。

 

 

 

夜のハンブルク中央駅。なんだかおもちゃみたいね。

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15/09/2012

09/15/2012

 

昨夜は、いつもは静かな寮が騒がしかった。防音がしっかりしているこの寮でこんなに音が聴こえるなんてと不審に思い、部屋のドアを開けて廊下をのぞいてみると、凄まじい音量の音楽と人の声。どんっ、どんっと骨まで震えるような音がする。目を凝らすと、廊下の端のほうの部屋のドアが開け放されて、たくさんの人が使い捨てのカップを手にお酒らしいものを飲んでいるのが見えた。怒ることすら忘れてしばらく呆然と眺めているうち、こんなところでいったいなにやってるの、となんだかもう可笑しくなってきて、文句は言わないことにしてそっとドアを閉めた。

 

どんどん騒がしさが増してゆくので、こちらも大音量で音楽をかける。音に浸されながらなにもかも、自分が誰なのかもどうしてここにいるのかも、本当になにもかもを忘れたいと願った。このまま眠って目が覚めたら、あたらしい人間ならいい。夜のうちに大雪が降って、世界ごと真っ白になってしまえばいい。そう思ったけれど、朝になってもわたしはわたしのままだったし、まだ9月の南スウェーデンでは雪は降っていなかった。

 

昨日は、わたしの皮膚にぴったりはりついて呼吸している。こういう息苦しさの集積をいつか恋しく思うのかもしれないと、淡い期待をかけて、また今日へ向かう。

 

 

晴れていたかと思うと、雨がざあっと降ったり、へんな天気。せっかくの休日だけれどどこへも出かけず、疲れをとって机に向かうことにする。 昼過ぎにようやくベッドから出て、蒸しパンをつくって、温かいうちに食べる。

 

目の前が真っ暗でも、穏やかな今日を。やめることなら、いつでもできるのだから。

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13/09/2012

09/13/2012

 

授業帰り、19時半の空。これでも随分、日がみじかくなった。

 

 

8月末に受けた、テストの結果が返ってきた。“Fortsättningskurs i svenska”という、スウェーデン語の学習経験がある交換留学生向け短期集中コースの、最終試験。43.5 / 50という得点だったので、これからつく成績もきっと良いはず。この結果は今スウェーデン語を習っている先生も知ることになるだろうし、「会話は苦手だけど紙のうえではなかなかやるんです!」と公言して今のクラスに入った以上、良い評価を取らないとと思っていたので、心底ほっとした。

 

それにしても、わたしは本当に話すのが苦手。スウェーデン語とフィンランド語はもちろん英語でも、母国語である日本語でもたまに、上手く言葉を継げない。話すときには極端に語彙が減り文法がばらばらになり場合によっては押し黙ってしまうことすらある反面、書くのはわりに得意なので、まわりの学生に横から覗かれては別人のようだと驚かれたりしている(地味にひどい)。この2年、改善しようとさんざんもがいているのだけれど、正直なところあまり上手くいっていない。なので最近は、言語能力にもいろいろある、とむりやり割り切ることにしている。着実に積み上げてゆけばという条件つきだけど、話す能力だって、そのうちついてくるさ。

 

 

4つの言語をある程度均等に使って生活していると、こんがらがるというより(わたしの場合、スウェーデン語とフィンランド語に関しては混ざることもあるけど、英語・日本語はそれぞれ独立している)、脳のある言語を司る部分だけがぱたっと止まってしまうことがある。ストライキ。ほんとうに、やってみないとわからないものだなと思う。語学はたのしいけれど、脳と外国語と上手く付き合うことは、想像以上にむずかしい。

 

英語を中心に据えた生活をして1年が経ったころ、突然、自分の日本語の核部分が小さくなってしまったのを感じた。普段よく使う単語が減り、思うような文章が書けなくなった。言葉はわたしにとって、厚く複雑に絡まり合って自分を守ってくれていた植物のようなものだったとそのとき初めて気づいたのだった。それが枯れていってしまうかもしれないという恐怖はあまりに大きくほとんど絶望のようで、英語が上達しないんじゃないかという懸念を圧倒してしまい、わたしは日本語での読書の習慣を取り戻すことに決めた。

 

不器用には不器用なりの、バランスの取りかたがあるのです。

 

 

 

最近、革のメッセンジャーバッグを買いました。相当古いものだと思うけれど、まだきれいで使うにももちろん問題なく、いい感じにくったりしている。学校へ行くにはちょっと小さいけど、休日用の鞄があるのもわるくない、かなあ。

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09/09/2012

09/9/2012

 

スウェーデンの南端にあるルンドという大学町で暮らしはじめたのは3週間前のこと。10ヶ月の交換留学なので、来年の6月までここにいることになる。そんなわけでこの3週間はというと、新しい家のための買い物、スウェーデン語の学習経験がある留学生のための2週間の授業とその試験、留学生向けのイベント、パーティー、秋学期の授業のガイダンスと1回目の授業と、とにかく足場をつくるために飛び回っていた。寝る間も惜しんで。わたしがこれほど活動的になったことなどいまだかつてあっただろうか(いや、ない)

 

その甲斐あって、ルンドでのわたしの学生生活は順調に滑り出している。わたしにしては(あくまで、わたしにしては)沢山の新しい友達ができ、最初のテストも上手くいき、今期のスウェーデン語のクラスも無事に希望のレベルに決まり、新しい家にも町にも馴染んできた。あとはこの異常なテンションを脱してすこしずつ本来の自分の速度を取り戻せたら。それにはもうちょっとかかるかなあ。

 

 

おととい、昨日は、1泊でカルマルという町へ行ってきた。スウェーデンの大学は授業によって期間が違うので(9月から12月までぱらぱらと講義のある授業、週2回の講義があるかわりに9月に始まって10月末には終わる授業、11月からの授業など、まちまち)、今週は金曜に入る予定の授業がまだ始まっていなくて、連休だったのだ。ルンドから電車で3時間のところにあるカルマルはいまは小さな町だけれど、歴史上とても重要な城塞都市。いまも町を囲む城壁が残り、城の近くには、カルマル同盟の旗が掲げられていた。心ひかれるものに出会うことができた、とても愉しい遠出だった。

 

だけど何より戻ってきたとき、ルンドの穏やかな美しさに驚かされた。古い大聖堂、おおきな大学、素朴な家並み、そして公園。こんなところだったっけ、と思った。忙殺された3週間のあいだ、視野が狭くなっていたことを知った。

 

スウェーデンでの貴重な1年を、ここで過ごせてうれしい。

 

 

ところで、スウェーデン人の友達に言わせると「スウェーデン史はつまんない、王が変わってデンマークと戦争しての繰り返しじゃん」らしいです笑。自分の国の歴史があまり好きじゃないスウェーデン人は多いとのこと。そういうものなのか、、、!?

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