22/01/2013

 

I regarded the world as such a sad sight

Until I viewed it in black and white

Then I reviewed every frame and basic shape

And sealed the exits with caution tape

 

Owl City “Dear Vienna”の歌い出し。キラキラ。この頃のOwl Cityがいちばん好きだ。

 

 

10月から決めていたことだったのに、航空券も予約していたのに、恋人は結局スウェーデンに来なかった。ずっと楽しみにしていた南スペインへの旅行もキャンセルした。出発するはずだった日を目前にやっぱり行けないと言い出して、彼はそのまま本当にぜんぶやめてしまった。

 

勉強に追い詰められた彼の言い分がわからなかったわけじゃない。けれど、何ヶ月も前から来ると言ってたなら来るべきだと当たり前に思った。よりどころを失ってそれまでなんとか保っていたバランスが崩れ、右も左もわからなくなって、呆然とするまで力の限り泣いた。あんなのは初めてだった。べつに、これきり会えなくなるわけでもないのに。

 

それでも最後には、あなたが正しかったとはおもわないけれど理解はできる、と言った。彼が乗るはずだった飛行機の時間を過ぎたらもう、疲れ切った喉の先で冗談も言えた。電話口で狂ったように泣くわたしを救わなかった彼は、わたし自身よりわたしをよく知っているのだと思う。

 

まあでもこれでもかってくらい謝ってもらったし笑、ちゃんと話もできたかな。しばらくはこれをネタにいじめて遊ぶから、あとは新しい約束をいつか叶えてもらえればそれでいいよ。

 

 

使っていなかったメールアドレスを復活させて、友達からそこにメールが来ていたことを知った。去年の6月。ここを見て一時帰国していたのを知ってくれたらしく、まだ日本にいるなら会えたらいいなぁ、と書いてあった。

 

高校時代から、いつも独特の言い回しで国語の先生みたいに丁寧に話す彼女に憧れていた。わたしには想像もつかないような色々に果敢に立ち向かっていくひとで(きっと本人は否定するだろうけどわたしはそう思っている)、だからこそ気が引けて、ずっとどうしてるかなあと思っていながらこのところなかなか連絡できずにいた。きちんと結婚のお祝いができていなくて、後ろめたかったのもある。

 

もう手遅れかもしれないと思いながら懺悔のようなメールを書いたのだけど、すぐに返事がかえってきた。向こうもわたしを気にかけてくれていたことを知って、とても嬉しかった。わたしにとって彼女はきっとどこまでいっても特別なひとで、だからわたしもできればただの昔の友達のひとりにはなりたくないなと思った。

 

今、彼女は本当に国語の先生をしていて、わたしはスウェーデンにいる。高校時代彼女はすでに国語がべらぼうに得意だったしわたしはすでに北の国に憧れていたから三つ子の魂百までって感じもするけれど、それでも、あの頃のわたしたちに12年後こうしてるんだよって言っても信じないだろうなあ、きっと。

 

27歳のとき、「もう27歳かあ」と言った彼女にわたしは「まだ27歳だよ」と言ったらしい(メールのなかでそれが目から鱗だった、と言ってもらったのだけど、実は本人覚えてない)。今のわたしにはきっとそこまでの前向きさはないけれど、やっぱり今でも、年を重ねるのはなかなか良いと思う。うまくいかないことを両手いっぱいに抱えていても、新しく得てきたこと、昔から変わらないこと、順番に叶えてこれたことをちゃんと仕舞い込んで、また彼女に笑って会いたい。彼女の目に映るわたしが、果敢な人間であればいい、と、思う。

 

 

恋人とは直接関係のないところで失ってしまったバランスは、まだ元には戻っていない。今日から新学期だけれど、いまだに前に向かう気力を養ってる最中。心折れてる場合じゃない、なんとかしなくちゃと思ってる。

 

次回はもうちょい、いろんな意味でカロリー低いかんじの日記が書きたいです。笑。

13/01/2013

 

明けましておめでとうございます。2013年、巳年。

 

 

今回はアラブ首長国連邦のドバイで飛行機を乗り継ぎ、ヨーロッパへ戻ってきた。ドバイに着いたのは日の出よりずっと早い時間だったのに、気温は22度。タラップの上で吸い込んだ空気は生温く、想像と違って湿っていた。飛行機の大きなエンジンのむこうには、ぽつぽつと滑走路の明かりが見えた。

 

大阪からドバイまでの飛行機は、びっくりするくらいにがらがら。あまりに人がいないので最初は心細かったのだけど、すぐに慣れ、わたしにしてはめずらしくとてもよく眠った(みっつの席をひとりで使えるのだから、もう快適で快適で)。キャスティングに惹かれて観てみた映画は話の流れにも台詞にも現実味がなかったけれど、それでも、漂う日本らしさを楽しんだ。

 

そして、持っていたブラッドベリでもチャペックでもなく、関空でなんとなく気になって買った島本理生の小説を読むなど。彼女の作品を読むのは何年ぶりだろう、と思いながら。最近、こんなことばかりしている。気がする。

 

 

 

それにしてもドバイ国際空港は広い。飛行機が着いたところからターミナルまで30分、そこから目的のゲートまでまた30分。ゲートを通り抜けてからさらに待たされ、長い通路を通ってバスに乗り込み、空港内をぐるぐると走ってようやく飛行機に到着。そのうえどこも人でいっぱいで何をするにも行列なのだから、座席に辿り着いたときには本当にぐったりしていた。

 

 

遠くに高層ビル群。ああ、ドバイだ。

 

 

日本では、ちょこちょこ出掛けたりテレビを見たり美味しいものを食べたりして、課題が頭から離れることはなかったけれど冬休みらしい健全な時間を過ごした。気がついたらもうスウェーデンへ戻る日が近づいていて、最後の2、3日はあまりのあっけなさにぼんやりとしていた。

 

年明けには、友人たちに会いに東京遠征も。ナンジャタウンで色んな種類の餃子を分けて食べ、ラウンドワンでエアホッケーとマリオカートのトーナメントをやり、9人という大人数でサイゼリヤ。ノリが学生だよね、大人はなにして遊ぶんだろうねえ、と言い合って笑ったけれど、皆とこういう風に遊べなくなるならべつに大人にならなくていいな、と実はこっそり思っていた。

 

 

今年の目標は、妥協しない、手を抜かない、誤魔化さない、言い訳しない、ハッタリをかまさない。ごくあたりまえのことを、誠実にやりたい。なりたい自分になる、というのはどうかなあという感じなので、なりたくない自分から着実に遠ざかれればと思う。

 

今年も、どうぞよろしくおねがいします。

25/12/2012

 

God Jul(スウェーデン語) Hyvää Joulua(フィンランド語)

 

ルンドのツリーで、メリークリスマス!

 

 

くだらない話で体ごと傾くくらい笑い、美味しいものを食べ、車のなかで爆睡して反省した。今年も派手なことはしなかったし笑、神戸ではほとんど車から降りられなかったけれど(他県ナンバーの車で駐車場がいっぱい!)、6回目のクリスマスイブはやっぱりたのしかった。

 

特別じゃないことがいちばん特別なんだな。とか。

 

 

Happy happy christmas – I send you christmas wishes wherever you are!

09/12/2012

 

残り香はたしかにあるのに秋の風景がまったく思い出せないくらい、もう、冬。

 

 

11月末から、寒い日が続く。夜にはマイナス15℃近くまで気温が下がる日もあるし、日中でも氷点下ということも珍しくない。近くの公園では、凍った池に雪が降り積もっている。

 

けれど、 わー寒い、と口では言いながら、実はまだかなり余裕がある(ぜんぜん大丈夫、と豪語してしまってもいいくらい)。ロンドンでこれくらいの気温だとあかん寒いもう死ぬ、とか思ってたのに、慣れたのか。最初からこういうところだと思って来ているからなのか。うーん。

 

 

昨日は偶然が重なって、女の子の恋愛相談にのってみたり、男の子に唐突に「コーヒーおごってよ」とたかられたりした(そして「なんでよー自分で払いなさいよ」とぶつぶつ言いつつ結局わたしがふたり分を払ったら、ひとしきり楽しくお喋りしたあと律儀に「ごちそうさま」と言うので まあいっか、と笑うなどした)

 

このあいだも書いたけれど、日本人の若い子たち、本当にかわいい。

 

 

ふとしたきっかけで、東急東横線の渋谷駅が、もうすぐなくなってしまうことを知った。食器を洗いながら、嫌ってほど泣いた。自分でも驚くくらいかなしくて、涙がぼろぼろ洗いかけのお皿にこぼれた。

 

東横線沿いで暮らしていた期間は、実はそれほど長くない。それでもあのホームは、もやもやふわふわした東京の記憶のなかからいつもまっさきに拾いあげる、思い出深い場所だった。

 

通い慣れていた職場も移転してしまったし、以前職場があった辺りも、別の町のようになってしまうかもしれないと聞いた。なんでここに道路がないのかねえ、と言っていた場所に、本当に道路ができるらしい。

 

わたしが暮らしていた東京はもうないのだ、と思う。そんなのは渋谷駅が変わらなくても、まえから解ってたことだ。京都も東京も、ロンドンも、ルンドだって、そこから離れたら最後、暮らしていたその場所じゃない。それでも、東京の変わってゆく速度はちょっと非情で、気持ちがついていかない。まだ2年半しか経っていないのに。

 

もういい大人なのに、こういう小さな別れにぜんぜん慣れられないでいる。

 

 

 

12月になると、Diane Birchが聴きたくなります。コーヒーショップでも、この曲が流れてた。嬉しい偶然。

26/11/2012

 

雨が降る

 

夜の雨は音をたてゝ降つてゐる

外は暗いだらう

窓を開けても雨は止むまい

部屋の中は内から窓を閉ざしてゐる

(尾形亀之助『尾形亀之助詩集』収録「雨になる朝」より)

 

雨の日にはよく、尾形亀之助の詩を思い出す。江國香織の小説『ホリー・ガーデン』で果歩が暗誦していたのに憧れて、あとがきにあった名前だけをたよりに、わたしはこの詩集を探しに行った。いつだったかもうあいまいだけれど、20歳くらいのときだった、と思う。新宿の紀伊国屋書店。雨の夕方だった。

 

それにしても当時のわたしは本当に『ホリー・ガーデン』が好きだった。そこに出てくる魅力的だけれど痛々しい女性たちと、救世主なのかただ残酷なのか判然としない男性たちを愛して、何度も何度も繰り返し読んだ。21歳ではじめて海外へ出たときも、持っていった。「読み慣れたものがそばにあると落ち着くから」という、いまのわたしからするとちょっと考えられない理由で。

 

あの頃みたいな本の読み方をすることはもうきっとないと思うし、江國さんの作品も、実はながいこと読んでいない。だけどあれはあれでわたしの根の一部であることには変わりないか、と、雨の日、尾形亀之助の詩がふわっと降りてくるたび思ったりする。

 

そういえば今夏、梨木香歩の本を何年ぶりかで読んだ。『村田エフェンディ滞土録』という作品だったのだけど、読みながら随分泣いた。新鮮だった。梨木香歩も20歳過ぎくらいの頃出ていたものを繰り返し読んでその後離れていた作家さんだけれど、今読むとこういう気持ちになれるものなのだなあ、と思った。江國さんの本も、今なら別のもののように映るのかもなあ。そう思うとあらためて読んでみたいような、あえて読まずにそのままで置いておきたいような。

 

 

ルンドにはわたしの日本での母校から交換留学で来ている現役大学生の子たちがたくさんいて、彼らと話しているとときどき、20歳そこそこだった頃の自分の影が横切る。自分のことは思い出したくない反面(人生是黒歴史!!!)、若い子たちを、とても可愛いと思う。年齢関係なく付き合いたいと思っているし、可愛いっていう言葉は失礼かもしれないけれど、もう本当に愛でたくなるのだ。

 

なつかしい、日本の大学生の空気。ちょっとの倦怠感と、なんともいえない眩しさ。

 

 

「もっと連絡して」「メールには、できれば次の日には返信して」「不安にさせないで」

ってはっきり言えないのは、肝がすわってるからじゃなく、ただいくじなしだから、なのです。

 

口にしていいのか迷いに迷って「もっとこうして」って言うより、笑い飛ばすほうがきっと簡単だよ。

 

 

 

日曜らしい朝昼ごはん。コーンフレークにヨーグルト。バナナ、キウイ、ブルーベリーとオーブンでローストしたくるみを散らしていたらすっかり楽しくなって、気づいたらちょっと歌ったりなんかしていた。

 

晩ごはんは置いていたものに、ちょっと作り足し。そういえばルンドに来てから、晩はまだ片手で数えられるほどしか外食をしていない。

 

さて、また、あたらしい一週間が始まるんだなあ。

18/11/2012

 

毛布に溶けながら、プリムローズ・ヒルの夢を見る。

 

ロンドンは霧の都というけれど、冬はほんとうに天気がよくない(もちろん、霧が出ることもある)。だから晴れた日にはそれだけでちょっと特別な気持ちになって、学校帰りによくここへ出掛けていた。丘をのぼり、柔らかい光に目を細めて、遠くに霞む街を飽きることなくながめた。日本を離れたときに生まれたふたり目のわたしがもっとも愛した、愛している場所。ルンドで暮らすようになっても、それは変わらない。

 

それほど遠くない未来に、今度はここから決定的に離れなくてはいけない日が来るんだろう。ふたり目の自分をわたしが失うことになるのかどうかはそのときになってみないとわからないけれど、どちらにしてもその節目にわたしはもう戻らない時間を束ねて、表紙に何重にも焼きついたプリムローズ・ヒルの風景を飾るにちがいない。

 

まずは、来年の秋、無事にあの場所へ帰れるように。

11/11/2012

 

ずっと当たり前だと信じて意識もしていなかったことを当たり前に思えなくなると、世界は絶望的にグロテスクだ。

 

 

「スウェーデンの人は冬の暗さに慣れないの」
「慣れる人もいるかもしれないけど僕は慣れないよ」
「へえ、そういうもの?」
「うちのお母さんも毎年、ああ今年も暗くなってきた!って嘆いてるよ、夏のあいだに冬の暗さを忘れちゃうんだ」
「そういえばうちのお母さんも毎年夏になると、今年も暑いわ、京都は人が住むところじゃない!って嘆いてるな」
「慣れないの?」
「慣れないねえ、冬のあいだに夏の暑さを忘れちゃうし」
「おなじじゃない 笑」
「そうだね 笑」

 

 

金曜の夜は、ひさしぶりにパーティーに参加してきた。普段着に近い格好でふらりと行ったら、まず受付に立っていたスウェーデン人の友達がおかっぱのかつらとコスプレ用セーラー服(今年の夏日本に短期留学していたらしいので、そのとき買ったにちがいない)で女装をし、フルメイクまでして目の覚めるような美しさだったので度肝を抜かれた。仮装もドレスアップすらもして行かなかったことを悔いたけれど、時すでに遅し。でも、男の子たちの本気仮装にお腹の底から笑い、可愛い女の子たちを愛でれたので、ちょう楽しかったよ!わたしは!(まあ、友達に「むしろすごい攻めたね」とからかわれる始末だったけどね!)

 

その日試験で朝5時半起きだったこともあって家に帰り着いたときにはくたくただったけど、興奮が冷めなくてなかなか眠れず。 午前4時すぎにようやく眠りについて、土曜日はお昼まで起きあがれなかった。

 

 

重いものを持ちたくて鍛えたはずなのに力が入らない、みたいな感覚。負荷のかかりすぎがひとつの原因なのは明らかなのに、どうすることもできないでいる。選択肢はなくて、目の前にあることは全部やるしかないのだ。

 

今日は、いちにち好きな本を読んで過ごす。いつ以来だろ。雨音が聴きたいので、降らないかなあ、と思ってる。

04/11/2012

 

 

 

寮から大学まで30分。自転車を買うこともなく、バスに乗ることもなく、毎日もくもくと歩いている。歩道に落ちている栗の実や、木のうえの鳥の巣、風に舞う赤や黄色の葉を眺めながら。

 

わたしにとっては一度しかないスウェーデンの秋が、いよいよ終わろうとしている。

 

 

 

かりかりに焼いたパンに、カッテージチーズ、ツナ、薄く切ったアボカドをのせて昼ごはん。あまったツナとアボカドはお醤油やらなにやらであえて晩ごはんの一品になりました。今日のささやかな幸せ。

01/11/2012

 

東京を離れてから、4つ目の部屋。

 

ロンドンで住んだ3つの部屋では、安定しないシャワー、シェアメイト同士のいざこざ、昼夜問わず鳴り響く火災報知器、信じられない寒さ、湯沸かし器の故障、3日3晩の停電と、考え得る限りの住居トラブルをフルコースで体験した。それですっかり疑り深くなったわたしはスウェーデンに来てからもまた何かが起こるに違いないと戦々恐々としていたわけだけれど、ここは今のところとても穏やかだ。全部が機能的で使いやすく、週末に隣人が騒がしいこと以外に困ったこともない。有難いんだけれど、いまだにこれでいいのかなとふわふわした気分になったりする(、、、重症ですね)

 

2ヶ月間で、この部屋もだいぶ様変わりした。家具の配置を変え、薄手のマットを敷いて床に座れるようにし、大きめのフロアクッションとブランケットを買い足した。最初は冷たい色すぎたかなと思っていたベッドカバーも、まわりに色が増えることで馴染んできた。知らない人の家に来たような気がしていた頃を、遠い昔に感じるようになった。

 

引っ越しを繰り返さないといけないことを修行のように感じたこともあったけど、こういう時期があってもいいのかもしれない、と今は思っている。

 

 

やらなくちゃいけないことと刻々と変わってゆく季節に急き立てられつつ暮らしている。

 

先週の土曜日は留学生向けスウェーデン語コースの試験だったのだけど、 4時間もあったはずが最後のエッセイのための時間が絶望的に足りず、悔いの残る出来になってしまった。なんとか無事に合格点は超えて次のレベルに進めることになったものの、あまりに相変わらずな自分にうんざりして、塞ぎ気味の数日を過ごした。とはいえ、こういうことを繰り返すことの価値を、後ろ向きながらにいちおう認めてはいるんだけど。

 

Sånt är livet. That’s life.

 

 

 

Kings of Convenienceの“Riot on an Empty Street”は、今年いちばん通しで聴いているアルバムだと思う。発売は2004年なのだけど、気持ちの隙間にすうっと入ったのか去年の秋頃からどんどん好きになり、部屋にいるときによく流すようになった。優しく撥ねるアコースティックギターの音も、EirikとErlendの重なる声も、ジャケットもタイトルもとても好き。

 

いまこのアルバムからはロンドンの、半地下だけど大きな出窓のある、なんだかんだで大好きだった部屋の匂いがする。きっとそれが消えることはないだろうけど、ルンドのこの部屋の記憶もすこしずつ織り込まれて、また違う感覚になっていくんだろうな、と思う。

 

大切に愛して、育てていきたいな、と思ったり。

14/10/2012

 

日に日に冬の影が濃くなる。街を歩く人たちの吐く息は、もうほんわりと白い。

 

 

“ひとからの預かりものを抱えている。いれかわりたちかわり。誰だってきっとそうだ、とおもう”

2005年1月8日の、7年と9ヶ月前の、わたし。

 

世界に騙されつづけたい、深追いしたくないと言う22歳の自分。ばかだなと笑おうとしたけどできなかった。ただほろ苦い。でも、こういう断片が残っていてよかったかな、とも思う。また何年も、読み返すことはないんだろうけど。

 

2005年の日記には、『海辺のカフカ』からの引用もあった。そうだ、この年に文庫版が出たんだっけ。

 

“「でも時間というものがあるかぎり、誰もが結局は損なわれて、姿を変えられていくものじゃないかしら。遅かれ早かれ」
「たとえいつかは損なわれてしまうにせよ、引き返すことのできる場所は必要です」
「引き返すことのできる場所?」
「引き返す価値のある場所のことです」”

— 村上春樹著『海辺のカフカ(下)』 43ページより

 

 

 

30を目前にしたわたしの現実は厳しい。こんなこともできないなら来るな、と言われるなら、もうやめてしまってもいいんじゃないのか、とも思う。やっぱりごめんなさいわたしには無理でした、と言ってしまってもいいんじゃないか。自分がこなごなになる前に投げ出してしまうほうが、かえって取り返しがつくんじゃないか。

 

だけど結局は、つないでしがみついていくことを選んでいる。スウェーデンまで来て何やってるのと思うけれど、いつも穏やかに健やかにいられるわけじゃない。

 

何年後かにこういうの読んで、今度はばかだなって笑いたいな。通り過ぎてしまえば夢のようで、一瞬なのに、って。

 

 

 

落ち込んだときにはケーキ。やっぱり甘いものは、効き目抜群です。